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2007年01月31日

霊石・疱瘡石のある春日神社

春日神社は全国に沢山あり建御賀豆智命・伊波比主命・天児屋根命・比売神を祭神としています。



ここ西院春日神社は天長10年(833年)2月に淳和天皇が退位(仁明天皇に譲位)し淳和院離宮へ居を移すに際し、勅諚により奈良の春日四座大神を勧請しその守護社として創建されました。
この離宮は別名”西院”と呼ばれ、この付近の地名である西院の由来となっています。



西院春日神社は病気平癒・災難厄除の大神、還来大神として知られています。



本殿は重要文化財に指定されています。
この本殿の横には小さい子供を病気などから守ってくださる神様がお祀りされている春日若宮社があります。



そして春日神社の狛犬は鹿で、口には筆と巻物をくわえています。
この狛犬には獅子だけでなく猪や龍、狐など色々な動物が用いられています。
この動物を神使(しんし)と呼び、神使は神社によって用いられている動物が決まっており、例えば、稲荷神社には狐・春日神社には鹿・弁財天には蛇などです。



<一願蛙>
三かえるは見返るに通じ、縁起のよい蛙といわれていて、水をかけてご祈願すると願い事が叶うそうです。



早速、お水をかけてお願い事をしました。
親蛙の背中にかわいい子蛙が2匹のっています(^・^)



寛政十二年(1800年)二月二十一日、仁孝天皇御降誕の折、吉方にあたる当社、西院春日神社を選ばれ、御胞衣(おえな)を埋蔵されました。御胞衣とは胎盤、つまりお産の後に出てくる後産とも呼ばれるものです。
宮中にはこれを吉方にあたる場所に埋蔵されその健やかなご成育を祈願される慣わしがありました。
これにちなみ、安産や子授け、母体の健康、乳幼児の生育を祈り、御胞衣塚に白石・子安石を奉納する風習があります。



本殿前にある病気平癒や災難厄除を祈願する祈願石です。



病気平癒を祈って奉納された石塚で、祈願石と一緒に災難を払う金幣のお札も奉納されています。



梛石(なぎいし) 
御神前の神石は、この石を撫でて災難厄除を祈願し、旅行をする人たちは、往きに還りに撫でて還来成就を祈願する習慣があります。
また、病弱者は撫でて厄除、健康の回復、病気平癒を祈ったことから”梛石”と呼ばれるようになりました。



還来(もどろき)神社
旅行安全・還来成就の守り神で貞観十六年四月十九日、淳和院が火災となり正子内親王は火難を避けるため、松院逃れられました。
その後、洞裏院に無事還御され「洞裏院が類焼を免れ「無事還り来るは是れまったく神の加護である」と仰せられ、故に後世還来の大神と称えられ、現今旅行の安全を祈る「還来信仰」として崇敬されるようになりました。

現在では天皇皇后両陛下の海外ご訪問に際しお守りが献上されているそうです。



古くから旅路道中の安全を祈って”わらじ”奉納する習慣があります。



弁天社・稲荷社
ご祭神は市杵島姫命・田心姫命です。
この弁天社は広島厳島神社の御分霊で、古くは太秦(うずまさ・広隆寺がるところです)の地に鎮座され、後に現在地にお祀りされました。
稲荷者の社殿内には、生きているかと思わせる”白狐”がお祀りされていると伝えられています。
社殿は金財を招く”巽(南東)”の方角を向いています。



そして使わなくなった古い財布が納められています。




初夢吉兆宝船図
京都では立春(節分の翌日)に見る夢を初夢とされ、節分の夜に”宝船”の絵を枕下に敷いて寝ると、立春吉兆の初夢がかなうと伝えられています。
この宝船図は江戸時代後期の版木で、順風満帆の春風を「寶(たから)」の帆に受け、他砂金袋・宝珠・蛸・打出の小槌・宝鍵・米俵・七宝・隠笠などの宝物を満載した宝来舟が大海を渡り来る大変縁起の良い絵図です。
特に”蛸”が描かれており大変珍しく”お足(お金)”が多いという意味があります。
節分の夜に枕下に敷くか、一年間玄関に飾って立春吉兆の宝来を願います。
玄関に飾るときは、室内に宝舟が入り込むよう”入舟”(舟頭を家内に向ける)にして飾るそうです。
この”初夢吉兆宝船図”は元旦から節分まで授与(700円)されます。




西院宮
ご祭神は淳和天皇(西院天皇)でご神徳家内安全です。
天長十年(833年)2月28日皇位を仁明天皇に譲られた折、西院に淳和院御所を造営されました。
鎮護の神として春日神社をご創建され現在の西院繁栄の基礎を築かれました。
淳和天皇崩御の後、大原野の御陵より御霊をお迎えし西院の祖神として崇敬を集めています。




<病気平癒の霊石・疱瘡石(ほうそういし)>
平安のはじめ淳和天皇の皇女崇子内親王が天然痘(疱瘡)を患われたとき、この石に祈願をされたところ、石が代わりに疱瘡を生じたちどころに内親王の病は治りました。 
これ以後西院春日神社は皇室から病気平癒や災難厄除けの守護と崇められ、仁明天皇(承知5年7月)、後桃園天皇(安永3年7月23日)、仁孝天皇(寛政12年2月21日)、敏宮(天保元年12月21日)、和宮(弘化3年閏5月27日)、孝明天皇(慶応2年12月20日)とご祈祷をめいぜられてきました。

そして神前の「霊石」は「疱瘡石」と呼ばれ、世の人々は病の平癒を願ってこの石を拝するようになりました。
また都に疫病がはやる前には必ずこの石の表面がぬれたそうです。

かつて神前にあったのが戦前から所在が分からなくなっていた疱瘡石が数年前に本堂で偶然見つけられ、一般に公開されるようになりました。
しかし残念ながら月次祭(毎月1日・11日・15日)に本殿で公開されるのみなので、タイミングが悪く未だに拝見することができていません。

この”疱瘡石”まるで水晶のようなパワーストーン!!
一度、見てみたいです…☆^^

<訂正とお詫び>
 ”本殿は重要文化財に指定されています”とありますが”重要文化財ではありません”
 西院っ子さんよりご指摘がありました。
 間違った情報で申し訳ありませんでした。

2007年01月25日

アメシスト・ドーム(晶洞)

アメシストのドーム(カペラ・ジオード・晶洞・祠)、久々に水晶のご紹介です(^・^)
アメシスト・ドームの外側は青いセラドン石を表面に伴った玉髄で、その内側に石英が晶出しその上に柱面の短い錐面のみのアメシスト結晶ができています。


どちらのドームも綺麗な深い紫色をした、短くて厚みのあるとても大きなアメシストの結晶が群晶しています。

左:玄関でお客様と幸運をお迎えしているアメシスト(約20kg)
右:床の間で家内安全・金運と神様をお迎えしているアメシスト(約14kg)


アメシストは古来より高貴な者だけが身につけられる石として崇めら、癒しのパワーストーンとして人気があります。
また、右脳を支配し頭の回転を良くしたり潜在能力を高めたり芸術的な創作意欲を高めるといわれています。


アメシスト・ドームは全てのポイントが内側を向いているのでドーム内にパワーを貯めこんでいるのかとても強いパワーを感じます。
で、ドームの中にはルチルや昇龍のクリスタルを入れて更にパワーアップを行ってます…☆^^

ドームに入れているルチルは(床の間)、こちら>>>
昇龍のクリスタル(玄関)はこちら>>>

2007年01月21日

城南宮の湯立神楽

大寒の20日、城南宮で行われた一年の無病息災や願望成就を祈る”湯立神楽(ゆたてかぐら)”に行ってきました。
大寒といいながらも暖冬のおかげで寒さを感じることなく、40分間の伝統ある儀式を楽しむことができました(14時スタートです)。


湯立神楽で使用する大釜の火を熾す神主さん。


「文政六年癸未二月」(1823年)の銘を持つ直径70cmもある大釜とお供え物。


果物や野菜、乾物、お米、お酒などの神様をおもてなしするお供え物。
この寒い時季に胡瓜や茄子そしてトマトまで!!
昔は温室なんかなかったのに、何故このような野菜を供えてるのかチョット疑問に思いました(゚▽゚;)アチャー!!


儀式の後、授与される”福笹”が本殿前に供えられています。。


本番を目の前にして、少々緊張気味の若い神主さん。


神主さんが本殿や大釜に向い祝詞の奏上や御祓いを行います。
そのあと、参拝者も御祓いをしてもらいます。


笛や笙などの雅楽の音色にあわせて巫女さんの登場です。
頭を飾っているのは紅白の梅です。


神様をお迎えするため、拝殿で四人の巫女さんが扇を手に祓神楽(はらえかぐら)を奉納します。


巫女さんが手にしている扇や鈴・幣・笹などは神様が依りつきやすい道具といわれています。


次は神楽鈴と笹を手にしての笹舞です。


舞が終わると、いよいよ湯立神楽も佳境になってきます。
白装束にたすき掛けの巫女さんが柄杓で天の水をすくって大釜のお湯に注ぎ入れる”杓取の儀”を行います。


塩を撒いてお釜を清めます。


沸き立つ大釜のお湯にお酒や洗米を入れます。


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巫女さんが両手に持った笹をお湯に浸し、左右に勢いよく振ると、熱湯と湯気が弧を描いて迫力満点です!!


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そして笹からも湯気が立ち昇ります。


巫女さんが笛や太鼓の音にあわせ、神憑りするかのように御幣舞を舞い、両手に笹の束を持ち、笹の葉で勢いよく釜の湯を参拝者にふりかけて邪気を祓い、無病息災・願望成就を祈ります。
この湯にかかれば無病息災のご利益にあづかることができます。


儀式終了後、「方災難除守(ほうさいなんよけまもり)」と“招福・無病息災”と記した短冊を結んだ「福笹」(¥800)が授与、持ち帰れば幸運に恵まれるといわれています。


巫女さんが釜に入れた残りの”塩とお米”を頂いて帰る人も沢山おられます。




<<おまけ>>
今日20日は大寒でしたが、二十日正月でもありました。
別名”骨正月”ともいいます。
昔は、商売をしている家では年末に食料を買いだめし、注連(しめ)のうちは商売を休みました。
その休みの間は買いだめした鮭やブリの切り身などを食べているうちに20日頃になると骨しか残っていないので、そのあらでだしを取り酒粕で野菜を煮いたことから”骨正月”という奇妙な名がつけられました。

2007年01月20日

天下無敵必勝利運の神社



鳥居に”天下無敵必勝利運”の額が かかる霊光殿天満宮は京都御所の西(上京区新町通今出川下ル)にあり「どんな願いも一心に祈願すれば叶えられる」という水晶やルチル顔負けのすごい神社です。
祭神は菅原道真と徳川家康です。


霊光殿天満宮は菅原義郷(道真の子孫)により建立されました。
神社の名前は道真が左遷され「東風吹かば匂起こせよ梅の花主なしとて春な忘れそ」と詠んで都を旅立ったとき、天から一条の光とともに天一神・帝釈天が降臨し、”汝に罪はない。故に左遷されても落胆するな。三年後汝を天に召し、汝の敵を滅ぼそう”と告げたという伝説によりついたといわれています。



1281年に蒙古襲来があったがとき、夷賊退治の祈祷を行ったところ元の船がことごとく沈んだことにより、後宇多天皇より”天下無敵必勝利運”の額を賜りました。


名作と言われている狛犬は木製で十一の突起が躍動的な阿形の尻尾が見事で睨みをきかして本殿を守っています。



霊光殿天満宮の”おみくじ”は少し変わっています。
12種類のクジ軸のなかから出てきた軸の数を拝殿に掛かっている額から探します。
その額には”1から12”までの数字の下に吉やら凶などが書かれています。
普通の紙のおみくじなら大凶や凶がでたら境内の木に結べばいいのですが、このおみくじは紙でないのでそういうわけにはいきません。
どうすればいいんでしょうか(* ^)(◎o◎)オヨヨ 
そう悪い結果が出たら甘んじて受け入れるしかないです、でも、ここ一番の勝負の時にはいいかも…☆^^



天神さんなのに、なぜ家康が祭神かというと家康が同社を深く信仰たことから後水尾天皇が家康の像を仙洞御所にお祀りになり、家康の死後、家康の像を移したことからで祭神となりました。



天神さんですから当然牛もいます。

2007年01月16日

きもの文化検定


(認定試験の公式テキスト:これから90%の問題が出題されます)

昨年の11月に第一回”きもの文化検定”の試験がありました。
久々に面白そうな検定試験だったので受験してみることにしました。

<きもの文化検定の目的>
きもの文化検定は、「きもの」やきものにまつわる「歴史や文化」についての知識の習得を通して、「きもの文化」への理解を深め、もっと「きもの」に親しむことを目的としています。


第一回の今回は4級と5級の認定試験が行われました。
試験は4級・5級とも同じ問題でマークシートによる択一方式でした。
合否は5級が正解率が60%以上・70%未満、4級は正解率が70%以上で合格というものでした。

で、結果は・・・

見事、4級合格でした~~┗─v(*゜・^)。o○。o○祝○o。○o。(^・゜*)v─┛~~

でも・・・
全国で6,702人受験して、5級合格が242人、4級合格が6,397人!!
合格率98.8%やんかぁぁぁ〜〜〜。
合格しなかったのは、たったの63人ゔ〲〰ゔ〲〰il||li(ФДФ;) il||li
喜んでいいのか!?

ちなみに最高点は99点、最低点は35点だったそうです。

5級は着物に関する一般知識、4級は着物に関する初級知識の認定です。
そして今年の11月に3級(中級)、来年は2級(上級)、再来年は1級(専門知識)の試験があるそうです。


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2007年01月12日

京都ゑびす神社

京都ゑびす神社で8〜12日までの5日間「十日ゑびす大祭」が行われました。
  8日  招福祭
  9日  宵ゑびす祭
 10日  十日ゑびす大祭(初ゑびす)
 11日  残り福祭
 12日  撤福祭
9,10日は夜通し24時間、ゑびす神社の門は開いています。


神社の由来は(京都ゑびす神社サイトより)・・・
京都ゑびす神社は西宮・大阪今宮神社と並んで日本三大ゑびすと称され、「えべっさん」の名で親しまれています。
その起源は約800年前土御門天皇の建仁2年(1202年)に禅の祖といわれる栄西禅師が建仁寺建立にあたり、その鎮守として最初に建てられたものです。
今日多くの方はゑびす様と言えば「商売繁盛の笹」をイメージされますが、ゑびす信仰の象徴とも言える笹は元来京都ゑびす神社独自の「御札」の形態が広まったものです。
笹は縁起物の松竹梅の竹の葉で「節目正しく真直に伸び」「弾力があり折れない」「葉が落ちず常に青々と繁る」といった特徴から家運隆昌、商売繁盛の象徴となりました。

ところで、京都・西宮(兵庫)・今宮(大阪)と3つの”えびす神社”がありますが、「えびす」の文字が違うのをご存知ですか?
 京都は「ゑびす」または「恵美須」
 今宮は「戎」
 西宮は「えびす」
そして八坂神社にもある、えべっさんはは「蛭子」と書きます。


巫女さんが笹を持って舞い踊りお清めをします!!
この笹は”吉兆笹”といわれ、京都ゑびす神社が一番最初だといわれています。


お清めした吉兆笹に熊手や福鯛・宝船・蓬莱・福銭・大宝等、自分の気に入った縁起物をつけていきます。
でも、沢山つけると賑やかになり楽しいですがそれだけ料金がかかります。
でも縁起物とはいえ、ちょっとつけすぎました(●`ε´●)


皆が戸を叩いています。
何故、戸を叩いているかというと”この戸を叩いてお参りしてください”と書かれた貼紙があるからなんです。


何故、戸を叩いてお参りするのかというと・・・
ゑびす様は高齢のため耳が不自由なので軽く叩いて、”お参りに来ましたよ”と知らせるためなんだそうです。
京都のゑびすさんに行かれたときは戸を軽く叩いてお願い事をすれば、きっとご利益がありますよ(*^∇^*)ノ


ゑびすさん(神)の本当の名前は『八代事代主(言代主)大神・やえことしろぬしのおおかみ』といい、大国主大神の子供です。
そしてなんと、七福神の中で唯一の日本生まれの神様なんですよw(☆o☆)w オオー!


やっぱり、ありました!!
水晶を売っているお店(屋台)が!!
でも、かなり怪しげな雰囲気がプンプン..+'*・゜(n‘∀‘)η゚・*:.。.
結構なお値段でしたが、ブレスレットの石の変更をお願いしている人もいましたよ。


京都のゑびす神社でしか売られてい、「人気大よせ(にんきおおよせ)」。
この赤くて華やかな傘は傘の中には人が集まることから”人がたくさん集まり、商売繁盛”を願う縁起物といわれています。


ゑびす神社は京都の花街の一つである”宮川町”から一つ道を隔てたところにあります。

2007年01月10日

八坂神社・八角木守

「蘇民将来子孫者也(そみんしょうらいのしそんなり)」と書かれた八角木守りは、災難除け・魔除け・家門繁栄の御神徳があると言われ、お正月に授かりお守りとして玄関に吊ったり、床に飾ったりして掲げられます。


(お守りの由来)
奈良時代につくられた備後風土記に八坂神社の御祭神・素戔嗚尊(スサノオノミコト)の護神徳が載っていますが、それによりますと・・・
尊が南海に旅をされ一夜の宿を裕福な「巨旦将来」に宿を求めたが断られ、反対に貧乏な「蘇民将来」の家で歓待し泊めてくれた。
貧乏にもかかわらず親切に厚いもてなしてくれたことを大層喜んだ尊は「蘇民将来子孫者也」と書いたお守りを腰に付けていれば病にならないとお教えになり茅(ち)の輪と一緒に授けられた。
その後、村に疫病が流行し巨旦将来一家を含め村人全員が死亡したが、蘇民一家だけは「蘇民将来子孫也」の門標を掲げていた為無事であった。


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その故事にちなみ、祇園祭では、「蘇民将来之子孫也」の護符を身につけて祭りに奉仕します。
また7月31日には、蘇民将来をお祀りする、八坂神社境内「疫神社」において「夏越祓」が行われ、「茅之輪守」(「蘇民将来之子孫也」護符)と「粟餅」を社前で授与されます。

蘇民将来は、八坂神社境内にある疫神社(えきじんじゃ)の祭神になっています。

2007年01月08日

護王神社(いのしし神社)

初詣、亥年ならやっぱりここに行かねばなるまい! いのしし神社!!
そぉ、護王神社(=^ー^)ノ彡☆゜・。・゜★
でも今年の干支がイノシシなので大変混雑していると話題となっていましたが、さすがに8日、それも夕方となるとガラガラでした。

昨年のblogにも書いてます ・・・ コチラ 


神社に足を一歩踏み入れると、「狛犬」じゃなく「狛いのしし」がお出迎えしてくれます。
足腰の健康・病気怪我回復や子育て・子供の成長の御守護をしてくれる心優しきご祭神(和気清麻呂と和気広虫姫)がおまつりされています。


参拝した皆が鼻を撫でていきます。
そう、このイノシシの鼻を撫でると幸せになれると言われています。
鼻だけ色が変わってしまってます(゚▽゚;)アチャー!!


神社の沿革(護王神社サイトより)
護王神社は、はじめ洛西の高雄山神護寺の境内に和気清麻呂公の霊社として祀られていましたが、確かな創建年は伝えられていません。
古くから「護法善神」と称されていましたが、嘉永4年(1851)、孝明天皇は和気公の歴史的功績を讃えて正一位護王大明神の神階神号を授けられ、明治7年(1874)、「護王神社」と改称して別格官幣社に列せられました。
明治19年(1886)、明治天皇の勅命により、神護寺境内から華族中院家邸宅跡地であった京都御所蛤御門前の現在地に社殿を造営、姉君の和気広虫姫を合わせ祀り、御遷座されました。
その後、崇敬者により境内に霊猪像(狛いのしし)が奉納され、いのしし神社とも呼ばれ親しまれています。


もう一人のご祭神・和気広虫姫は清麻呂公のお姉さんで平安時代初期に活躍した女性。
戦乱でよって生じた多くの孤児を養育し、自分の養子として迎えるなどした大変慈悲深い人。
70歳で亡くなるまで、生涯を弱者の救済に当たったので、後に『子育明神』として信仰されるようになりました。


今年もありました、水晶のお守り(=^ー^)ノ彡☆゜・。・゜★

2007年01月07日

白馬節会と花びら餅

今日は朝から雪が降っていて、ニュースでは”雪の金閣寺”が何度も放映されていました。
我家の庭の七竈(ななかまど)にも、雪が積もっていました。
この”七竈”、材を竈に七回入れても燃えないで焼け残ることからこの名前になったといわれています。


雪のちらつく中、上賀茂神社の白馬節会に行ってきました。
この白馬節会は”中国古来の1月7日に青馬を見るとその年の邪気を祓うことができる”という故事に由来していて、神前に七草粥が供えられ祝詞(のりと)が奏上された後に、錦の馬着で正装した白い神馬が1頭を引き立てられて祭神の御覧を仰ぐ神事です。

当初は青みがかった馬を用いたため "あおうま" であったため、後に神事の馬が白馬に代わっても「白馬」を「あおうま」と読み、中国では馬は縁起の良い動物、青はおめでたい新春の色といわれています。


上賀茂神社の正式名称は”賀茂別雷神社:かもわけいかづちじんじゃ”といい、世界文化遺産に登録されています。

★立砂と細殿(重文)
円錐形の麗しい御神体山である神山をかたちどった一対の立砂。
一種の神籬(ひもろぎ:神様が降りられる憑代(よりしろ))で、鬼門や裏鬼門に”清めの砂”を撒くのはこの立砂の信仰が起源といわれています。


そして上賀茂神社といえば”楼門(重文)”で、この内側が上賀茂神社の御神域の中心部です。

有料・予約制ですが、普段見ることができない国宝の「本殿」や「権殿」に参拝やご神宝も拝観することができます。


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土舎(重文)は1628年(寛永五年)に造り替えられたものです。


帰りに和菓子屋によって京都ではお正月に食べる伝統の御菓子である”花びら餅(菱葩餅)”を買って帰りました(*^∇^*)ノ
柔らかい求肥で京都のお雑煮に見立てた白味噌のあんこと牛蒡(ごぼう)を包んである御菓子で、透明感あるピンク色が新春を連想させます。
求肥から飛び出している細長いのが牛蒡です☆彡

花びら餅とは(Wikipediaより)・・・
ごぼうと白味噌餡とピンク色の餅を、餅もしくは求肥で包んだ和菓子。
当初はごぼうが2 本であったが、現在では1 本のものが主流である。
平安時代の新年行事「歯固めの儀式」を簡略化したもので、600 年も宮中のおせち料理の一つと考えられてきた。
歯固めの儀式では長寿を願い、餅の上に赤い菱餅を敷き、その上に猪や大根、鮎の塩漬け、瓜などをのせて食べていたが、だんだん簡略化され、餅の中に食品を包んだもの(宮中雑煮とよばれた)を、公家に配るようになり、さらには鮎はごぼうに、雑煮は餅と味噌餡を模したものとなった。
宮中に菓子を納めていた川端道喜が作っていた。
明治時代に裏千家家元十一世玄々斎が初釜のときに使うことを許可され、新年のお菓子として使われるようになり、全国の和菓子屋でも作られるようになった。


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家に帰ってから、抹茶と一緒に頂きました。
なんとも言えない”やさしい”味がし、冷え切った身体に春を一瞬感じました..+'*・゜(n‘∀‘)η゚・*:.。.


2007年01月06日

大福梅(撤饌)

大福梅・・・
招福息災を願って服用するお正月の縁起物で古来より毎年12月になると北野梅林で採集・調整された梅干を裏白と共に授与されます。
大福梅は普通の梅干ではなくカラカラに干し上げられたものです。
お正月元旦の朝に祝儀としてお茶(白湯)に入れて飲みます(元旦に服することを王服(おおふく)といいます)。


由緒書では、起源は村上天皇の天暦5年(951年)に疫病が流行し、”天皇御脳(*1)にかかり給いしが、この茶を服し給えば御脳たち所に平癒す。これより王服(おおふく)と称して毎年元旦にこの茶を服し給い、萬民これを倣い年中の疫病邪気を除き長寿幸福を得るなり”(「都名所図絵雑談抄」)と伝えられています。
俳句の季題に・・ 大服や一歳越の泊り釜 (魚赤)  とあり、大福とは吉字をあてたものです。


この大福梅は1袋(約6粒入り) 500円で12月13日から無くなるまで授与されます。


北野天満宮には約2,000本の梅があり、早咲きの梅は1月初旬には咲き始め、2月中旬から3月初旬までが最も美しい時です(梅苑は例年2月初旬から公開されます)。

*撤饌  :神様からのお下がり
*1 御脳:幼少期にかかる脳膜炎といわれています

2007年01月04日

月光浴で金運アップ

昨日は今年始めての満月でした。
そこで毎月のように水晶たちを月光浴させてあげました。
でも、水晶たちを庭に出した時は雲がお月様を遮る生憎の空模様─(゚Д゚)→ プス


最近は石の数が増えてきて石を並べるだけでも一苦労です。
で、今回はコレだけの石を家の中から集めて並べるだけで少々お疲れ・・・
と言うわけで今回は”運の良い石たち”だけが月光浴を楽しみました。
でも、今回から財布も月光浴させています。
mixiのコミュで”満月の力で臨時収入を得る会”というのを知り、実行してみました。
そこにはこう書かれていました・・・
 1.通帳またはお財布を用意する
 2.お財布からクレジットカード、領収書など「お金を使う事に関係する」ものを抜く。
  お札は入っていてもいなくてもかまいません。
 3.満月の日に、外の気にお財布や通帳を晒しながら(このときに振ると良いです)
  「今月も臨時収入がたくさん入りました。お月様ありがとうございます!」と、過去完了形で宣言をする。



で、月光浴させた財布はコレです。
金運アップには黄色の財布が良いといいますが、何故かグリーンです。
誰かが”グリーン”の財布はお金が入ってきやすいと言っていたような・・・(本当か?)
でも、この財布にしてから使う以上に臨時収入がボコボコと入ってきます..+'*・゜(n‘∀‘)η゚・*:.。.
そして財布で気をつけていることは・・・
 ・レシートや請求書をいつまでも入れておかない
 ・折り財布は使わない
 ・お札の向きを揃える
 ・小銭とお札は別の財布にする
一度、試して見ては如何ですか・・・(責任は持てませんが)


月光浴を充分楽しんだ石たちを取り入れる頃には(am2:30)、お月様を遮っていた雲もなくなり綺麗な満月を見ることが出来ました(*^∇^*)ノ

皆さんも、月光浴で金運・財運をアップさせましょう(笑)
でも、月光浴や水晶・ルチルは錬金術ではありませんので持っているだけでは金運・財運はアップしませんよ!
あくまでも、金運を向上させるパワーがあるだけです!!
日頃の努力が大切です。
金運・財運が巡ってきても、日頃努力をしていないと実を結びませんし、またせっかくのチャンスを見逃してしまうかもしれません。
幸運の女神は突然現れ、突然消えてしまいます。
ルッチーもせめて”幸運の女神の後ろ髪”ぐらいは捕まえて見たいと思い頑張ってます(●`ε´●)

2007年01月01日

今年もよろしくお願いいたします..+'*・゜(n‘∀‘)η゚・*:.。.

昨年はたくさん見に来ていただいて、ありがとうございました。
今年もよろしくお願いいたします。


Shell Beach
世界遺産に登録されている浜辺全体がシェル(貝)で覆われたシェルビーチ。
ビーチは120kmも続いていて、どれだけ沖に出ても水深は膝ぐらいまでの遠浅です。
そしてビーチに貝殻があるのはもちろん、海に入っても貝殻だらけです!!


キングスパークからのパース市内の夜景
キングスパークはスワン川やパース市内を一望できる展望台や、ボタニックガーデンがありワイルドフラワーのシーズン(9月−11月)には色とりどりの花々が咲き乱れます。
日本ではクリスマスが終わると一気にお正月モードに突入ですが、オーストラリアでは特別何かをするわけでなく普通の祝日といった感じです。
そして西オーストラリア州ではサマータイムのため時差はなく、季節が夏で最高です。