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2007年03月31日

駒止地蔵尊の蓮光寺

 
 NHK大河ドラマ”義経”で紹介された”駒止地蔵尊(斬首地蔵)のある蓮光寺に行ってきました。
 それと長曾我部盛親公のお墓もあります。
 扉は閉まっていますが左にある木戸から自由に入ることが出来ます。(開門7時、閉門5時)


 
 
 負別山
 蓮光寺は浄土宗で知恩院を本山としていて、山号を負別山(ふべつざん)といいます


 
 
 
 観光客も誰もいなくて、静かでゆったりとした時間を過ごすことが出来ました。
 清水さんや高台寺、三千院のような華やかさはないですがガイドブックに載っていないお寺も中々のものです。

 
 明応元年(1492年)に天台宗真盛派開祖の真盛上人を開基とし、高野山の苅萱堂を模して下京区新町高辻に
 草庵を結んだことから、当初「萱堂」と称し、天台宗に属していた。
 天正19年(1591年)豊臣秀吉の命により現在の富小路通り六条に移り、真盛上人の弟子、玉譽光順上人が
 浄土宗に改め、二世順譽蓮光上人のとき寺号を蓮光寺と改称した。
 正保年間(1644〜1647年)に大阪城を設計した中井大和守の帰依を受けて本堂を建立。
 元禄13年(1701年)に勧修寺二品法親王より山号「負別山」の染筆を下賜され、現在も本堂に掲げられている。
 京都四十八願寺中、第三十五番に数えられている。
 建物は、天明8年(1788年)京都の大火災および元治元年(1864年)蛤御門の変で焼失、明治29年(1896年)
 に再建されたがその後老朽甚だしく、昭和58年(1983年)に本堂の改修と書院、庫裏の再建が行われた。
                                           (蓮光寺サイトより抜粋)

 
 駒止地蔵尊
 駒止地蔵尊は、弘法大師の御作で、もと六条河原の刑場に祀られていましたが、鴨川の氾濫で埋もれてしまっていました。
 保元3年(1158年)平清盛の乗馬が急に立ち止まって動こうとしないので、あたりを掘ってみるとこの地蔵尊が出てきたそうで、
 それ以来、駒止地蔵尊の名で信奉されています。
 また、この地蔵尊は盗賊に襲われた篤信者を護り、身代わりになって首を斬られたと伝えられ「首斬り地蔵」の名もあります。
 江戸時代の中期に霊験が評判で名地蔵と数えられる地蔵尊が21体あり、その1つに数えられています。


 
 文治元年(1185年)10月、源頼朝は義経暗殺の密命を土佐坊昌俊に下しました。
 昌俊は義経に夜襲をかけましたが、打ち負かされ捕らえられて六条河原で殺されました。
 この駒止地蔵尊は六条河原で処刑された多くの人々の末期を看取ってきたのです。


 
 高さ八尺の石造の地蔵尊です。

 
 
 
 
 
 白玉稲荷大明神

 
 
 長曽我部盛親公
 大阪夏の陣に敗れた土佐の長曽我部盛親公の五輪供養塔。
 長曽我部盛親公は関が原の戦いに参戦の後、豊臣家のために再起を期し、京洛の地に大岩祐夢と号して寺小屋を営んでいた。
 この間、当山の時の住職蓮光上人と親交があった。元和元年(1615年)大阪夏の陣に敗れ、六条河原で斬首されるや
 蓮光上人は所司代板倉勝重に請い、首級を当山の墓地に葬って供養した。
 時に盛観公41才、法名を領安院殿源翁崇本大居士と諡した。
 盛親公の遺品として、太刀、鎧(片紬)、鐙等が当山に伝持されている。

 ありゃ〜、ルのご先祖さまが登場しただぁ〜!!
                                           (蓮光寺サイトより抜粋)

 
 
 
 
 ミツバチがいるのが分かりますか?

 
 
 庭には梅や桜、雪柳が満開でとても綺麗でした
 この景色が一人占めですから最高です!!

2007年03月24日

中村屋、第二弾!!

 

 皆さん、覚えていますか?

 ”中村屋”のことを・・・・・

 このたび、中村屋の第二弾"弔事バージョン”を発見しました。

 第一弾の"披露宴バージョン”を見ていない人は、必ず、”披露宴バージョン”から見てください。
 面白さが半減してしまいますよ!!


   披露宴バージョン

   弔事バージョン


 ※音声がでますので、仕事中の方は注意してください!!



2007年03月16日

兵は詭道(きどう)なり

孫子の兵法です。

直訳すれば「戦術とは相手を欺く方法である」ということになります。
表面的な解釈では孫子の兵法はペテンであってまともな戦い方ではないと取られがちです。
しかし孫子が言っているのは、力ずくでなく心理的な操作によって、無理なく相手をコントロールすることです。
それが孫子のいう”詭道”です。
悪用すれば詐欺になりますが、本来は自然に相手を動かす科学的手法で弱者が強者を倒すための手段です。
本質は心理操作であり勝負だけでなく、広く人間関係に活用できます。


本日、堀江被告に判決が出ました。
彼はどうだったんでしょうか?


今週初めより十数年ぶりの風邪でダウンしたままです。
blog暫くお休みします。

2007年03月13日

芸能上達祈願祭と奉納狂言

 
 虚空蔵法輪寺
 虚空蔵菩薩(ご本尊:こくぞうぼさつ)がある、虚空蔵法輪寺で芸能上達祈願祭がありました(3月10日)。
 虚空蔵菩薩は今昔物語や枕草子・平家物語などにもかかれており、古くから智恵・福徳・技芸上達そして丑寅年生の
 ご本尊の仏様として信仰を集めています。


 
 虚空蔵法輪寺は渡月橋の南の嵐山の中腹にあり、”十三まいり”のお寺として有名です。
 また、”針供養”のお寺として全国から信仰を集めており、境内には電気・電波を守護する鎮守社”電電宮”が祭祀されています。


 
 通称”十三まいりの虚空蔵さん”は、和銅6年(713年)に元明天皇の勅願で行基菩薩により創建されました。
 当初、寺の名は「木上山葛井寺(もくじょうざんかどのいでら)」と呼ばれ、国家安穏・万民の繁栄と五穀豊穣・産業の
 興隆を祈る勅願所でした。
 この葛井寺が法輪寺の起源で貞観10年(868年)に”法輪寺”と改められました。


 
 
 
 
 芸能上達祈願祭
 芸能・工芸の守護仏として信仰をあつめている虚空蔵菩薩に音楽や技芸・習い事などの上達を祈って本堂で法要が営まれました。
 法要は4人のお坊さんにより執り行われ約30分ほどで終了。
 京都の行事にしてはあまり有名でないためか、そんなに多くの人出もなくゆっくりとした時間が流れていきました。


 
 奉納狂言
 芸能上達祭のあとは茂山忠三郎社中による狂言奉納。
 本日の演目は”舟船”。


 
 舟船  
 主人が外出しようと太郎冠者に相談し、太郎冠者の勧めにより西宮に行くことにしたが、途中で神崎川という
 大きな川に出くわしてしまいます。
 乗る物を太郎冠者に探させたところ、太郎冠者は遠くのほうの船に向かって「船(ふな)やーい。船やーい。」
 と呼びかけます。
 主人は「あれは舟(ふね)だ」というが、太郎冠者は古歌を引き合いに出して船だと言い張ります。
 主人も古歌を読んだり謡を謡ったりして 船と言い張りますが太郎冠者に言い負けてしまいます。


 
 舟(ふね)か船(ふな)かを言い争う短時間の狂言ですが、引合いに和歌を出してくるところが一番の見所だと思います。
 

 
 主人が持ち出した謡は謡曲『三井寺』の1節で、「山田矢橋の渡し<ぶね>の、夜は通ふ人なくとも、月の誘はばおのづから、
 <ふね>もこがれいづらん」までは良かったが、その続きが「<ふな>びともこがれいづらん」となってしまいます。(゚▽゚;)アチャー!!
 ”ふな”と言っちゃた!!


 
 <ふなびと>と出てくるところで詰まってしまった主人。
 調子に乗った太郎冠者は、主人の謡のことばの後を受けて続きを歌い怒られます。


 

   主人    茂山恭仁子
   太郎冠者 桝谷雄一郎
   後見    茂山忠三郎



 狂言で呼び名が違うことで言い争う演目には鶏流(けいりゅう)や花争(はなあらそい)などがあります。


 
 
 展望台からの眺め
 虚空蔵法輪寺の展望台からは嵯峨野方面が一望でき、”五山の送り火(大文字焼き)”の一つである”鳥居”も目の
 前に見ることが出来ます。


 
 そして渡月橋も真正面に見ることができます。
 この渡月橋は十三参りのお参りをして知恵を授かっても、帰り道渡月橋を渡りきるまで振り向いてはいけないと言われ、
 振り向くとせっかく頂いた知恵が無くなってしまうそうです。
 ルも子供の頃、家族で十三参りに行ったのですが渡月橋の上で弟が後ろから大きな声でルを呼んで振り向かせよう
 としていたことが懐かしく思い出されました。

 道昌僧正は承和年間に勅願により大堰川を修築し、橋を架け船筏の便を開きました。
 その時架けられた橋を亀山上皇が見て”くまなき月の渡るに似たり”と言われたことから渡月橋と命名されたといわれています。


 
 
 境内には早咲きの桜が満開でとても綺麗でした。


 
 桜の木の下で灯籠を食べようとしている狛犬・・・狛カバか???

 
 顎がはずれたぁ〜〜〜〜〜〜!!
 こんなに大きな口を開けている狛犬は見たことがないです。


 
 
 
 
 
 
 本殿と多宝塔・鐘楼
 蛤御門の変(1864年)では長州藩の浪士が渡月橋を挟んで対岸の天龍寺に集結した戦で虚空蔵法輪寺の建物は
 すべて焼けてしまいました。
 その後本堂を明治17年に再建し客殿・玄関・回廊・庫裏・山門などを順次竣工して大正3年に今のお寺の形となりました。


 
 
 針供養
 虚空蔵法輪寺の針供養は「皇室で使用された針をご供養せよ」との天皇の命により始まったといわれています。
 現在でも12月の針供養の際には皇室からお預かりしました針のご供養をしており、針供養当日は針を蒟蒻刺しています。
 これは、これまで一所懸命働いてくれた針を蒟蒻にさして休んでもらおうということだそうです。


 
 電電塔
 右はトーマス・アルバ・エジソン、左はハインリッヒ・ルドルフ・ヘルツの胸額です。


 
 
 電電宮
 法輪寺鎮守社で”電気・電波”の守り神です。
 道昌僧都が百日間の求聞持法を修し、満願の日に井戸で水を汲んでいると明星が天空より降りそそいで、虚空蔵菩薩
 が来迎したと伝えられています。
 本尊の顕現としての明星天子を本地として『電電明神』を主神とする『明星社』が鎮守社のひとつとして奉祀されました。
 同社は禁門の変(1864年)で焼失しましたが1956年にそれまでの仮宮であった社殿を電気電波関係業界の発展を祈願
 するため”電電宮”として新たに奉祀されました。


 
 十三詣り  
 古来より、数え十三歳になったた男女が成人の儀礼として法輪寺に参拝しました。
 十三歳の厄難を払い、智恵を授けていただけるように虚空蔵菩薩に祈願し、別名”知恵詣り”とも呼ばれています。
 そして前述のように、お詣りが済んだ後の帰路、渡月橋を渡るまで後ろを振り返るとせっかく授かった知恵が無く
 なってしまうという言い伝えがあります。

           難波より  十三まゐり 十三里 もらひにのほる 智恵もさまざま
  の歌で知られるように、江戸時代の中頃から京都のみならず近畿一円からのお参りが一般に広がりました。

 古くは本尊虚空蔵菩薩の最もご縁の深い旧3月13日(現在の4月13日)に参詣するのが一般的でしたが、現在は
 3月13日〜5月13日(4月13日を中日とした一月間)と10月〜11月の期間が十三まいりの期間となっています。


 
 
 誕生月開運扇
 社務所ではこんなかわいい”開運グッズ”が授与(¥700)されていました。
 10月生まれのルが買った扇は”紅葉に筏”でした。


2007年03月08日

子犬が来た

 

 我家にかわいい子犬がやってきたヘU^ェ^U オテ!
 柴犬のオスです。


 犬好きにはこの可愛いつぶらな瞳。たまりません・・・、ちょんと揃った前足・・・
 やはり犬は日本犬がいちばんです。
 ピンと立った三角の耳、犬張子のように張った胸、くるりと逞しく巻き上がった尻尾・・・
 洋犬には感じられない”飾り気のない地味な気品と風格”
 たまりませんヾ(*゜∇^*)ノ~♪♪

 ペットブームで最初は可愛がって大きくなると虐待したり捨てたりする飼い主がいますが飼うからに
 は最後まで責任を持って飼いたいものです。

 ※夜に来たのですが子犬が驚くのでストロボを使用しませんでした。

2007年03月03日

油掛地蔵尊

 

 油掛大日如来地蔵尊
 油掛地蔵は今より約670年前の鎌倉後期の延慶3年に平重行の願主にて建立された御仏です。
 ご本尊は阿弥陀如来、頭光内の種字観音・勢至の両菩薩とあわせて弥陀3尊の御姿です。
 石の両肩を斜めに大きく切り落とした珍しい形で、厚肉彫りで胸の張り豊かで両肩から両腕にかけての重厚さは
 鎌倉中期石佛の風格がうかがえます。
 京都で鎌倉期在銘の石佛は、この油掛地蔵の他に二体(善導寺・三尊石仏、石像寺・弥陀三尊石仏)しかなく
 どちらも重要文化財・重要美術品に指定されていますので、この油掛地蔵尊も重要文化財に指定されてもおかしくないと思います。


 

 油掛地蔵尊に油をかけると祈願成就するという言い伝えは、1680年(延宝八年)黒川道祐の近畿歴覧記”嵯峨行程”
 に”油掛地蔵此辺にあり、凡そ油を売る人この所を過るときは必ず油をこの像に灌いて過ぐ云々”とあり、少なくとも
 約300年以上の昔より油を掛けお祈りした風習があったことが分かります。
 
 昔は生活に欠かせない貴重な油を、どのような想いで地蔵尊に掛けてお祈りをしていたのか気になるところです。


 

 仏様の大きさ
  高さ 170cm
  巾   84cm
  お顔  27cm
  厚さ  40cm
 油掛地蔵尊は嵯峨野の北の有栖川にかかる”油掛橋”のほとりにあり、ここの辻には”右あたご、左こくうぞう”と
 刻まれた道標石(1798年)が立っています。
 油掛地蔵は全国各地にもあり京都にはもう一体、伏見にあります。


 

 御詠歌   
   あさひさす 日の出かがやく 油かけ
   ただひとすじに たのめ こそすれ


 

 

 
 
 お地蔵様は三百年以上前から油が掛けられ、近づくと油の臭いでいっぱいです。
 そしてお地蔵様は油でべっとりとなり黒光りしていてとてもお地蔵様に見えません。