駒止地蔵尊の蓮光寺

NHK大河ドラマ”義経”で紹介された”駒止地蔵尊(斬首地蔵)のある蓮光寺に行ってきました。
それと長曾我部盛親公のお墓もあります。
扉は閉まっていますが左にある木戸から自由に入ることが出来ます。(開門7時、閉門5時)


負別山
蓮光寺は浄土宗で知恩院を本山としていて、山号を負別山(ふべつざん)といいます



観光客も誰もいなくて、静かでゆったりとした時間を過ごすことが出来ました。
清水さんや高台寺、三千院のような華やかさはないですがガイドブックに載っていないお寺も中々のものです。

明応元年(1492年)に天台宗真盛派開祖の真盛上人を開基とし、高野山の苅萱堂を模して下京区新町高辻に
草庵を結んだことから、当初「萱堂」と称し、天台宗に属していた。
天正19年(1591年)豊臣秀吉の命により現在の富小路通り六条に移り、真盛上人の弟子、玉譽光順上人が
浄土宗に改め、二世順譽蓮光上人のとき寺号を蓮光寺と改称した。
正保年間(1644〜1647年)に大阪城を設計した中井大和守の帰依を受けて本堂を建立。
元禄13年(1701年)に勧修寺二品法親王より山号「負別山」の染筆を下賜され、現在も本堂に掲げられている。
京都四十八願寺中、第三十五番に数えられている。
建物は、天明8年(1788年)京都の大火災および元治元年(1864年)蛤御門の変で焼失、明治29年(1896年)
に再建されたがその後老朽甚だしく、昭和58年(1983年)に本堂の改修と書院、庫裏の再建が行われた。
(蓮光寺サイトより抜粋)

駒止地蔵尊
駒止地蔵尊は、弘法大師の御作で、もと六条河原の刑場に祀られていましたが、鴨川の氾濫で埋もれてしまっていました。
保元3年(1158年)平清盛の乗馬が急に立ち止まって動こうとしないので、あたりを掘ってみるとこの地蔵尊が出てきたそうで、
それ以来、駒止地蔵尊の名で信奉されています。
また、この地蔵尊は盗賊に襲われた篤信者を護り、身代わりになって首を斬られたと伝えられ「首斬り地蔵」の名もあります。
江戸時代の中期に霊験が評判で名地蔵と数えられる地蔵尊が21体あり、その1つに数えられています。

文治元年(1185年)10月、源頼朝は義経暗殺の密命を土佐坊昌俊に下しました。
昌俊は義経に夜襲をかけましたが、打ち負かされ捕らえられて六条河原で殺されました。
この駒止地蔵尊は六条河原で処刑された多くの人々の末期を看取ってきたのです。

高さ八尺の石造の地蔵尊です。





白玉稲荷大明神


長曽我部盛親公
大阪夏の陣に敗れた土佐の長曽我部盛親公の五輪供養塔。
長曽我部盛親公は関が原の戦いに参戦の後、豊臣家のために再起を期し、京洛の地に大岩祐夢と号して寺小屋を営んでいた。
この間、当山の時の住職蓮光上人と親交があった。元和元年(1615年)大阪夏の陣に敗れ、六条河原で斬首されるや
蓮光上人は所司代板倉勝重に請い、首級を当山の墓地に葬って供養した。
時に盛観公41才、法名を領安院殿源翁崇本大居士と諡した。
盛親公の遺品として、太刀、鎧(片紬)、鐙等が当山に伝持されている。
ありゃ〜、ルのご先祖さまが登場しただぁ〜!!
(蓮光寺サイトより抜粋)




ミツバチがいるのが分かりますか?


庭には梅や桜、雪柳が満開でとても綺麗でした
この景色が一人占めですから最高です!!









































