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2007年04月30日

西陣聖天の桜

 
 雨宝院(西陣聖天)
 西陣にある、弘法大師創建の寺院。
 本堂に歓喜天を祀ることから、「西陣の聖天さん」として親しまれ、商売繁盛の神様としても信仰されています。

 
 西陣聖天の狭い境内には本堂や庚申堂、稲荷堂が建ち並び、所狭しと歓喜桜や観音桜、御衣黄が咲き競っていました。
 西陣聖天には今年は3回も桜を見に行きました。
 桜なんてとっくに散っているのに、仕事が忙しすぎたのと、このお方のお世話で今頃しかblogに書けてません(>_<")
 でもGWの9日間は、このお方と朝から夜までズット一緒です(σ´㉨`)σ・・・・…━━━━⊹ฺ∔ฺ⋆ฺ✧ฺ☆ズキューン♡
 で、1回目は蕾の頃。
 2回目は満開の時。
 そして3回目は散り染めの時です。

 
 3回目に訪れた時は、芍薬が咲いていました。

 
 普段はひっそりとしている西陣聖天ですが、桜の時期は沢山の人です。
 2,3年前までは"隠れた桜の名所”として静かに桜を楽しむことが出来たのですが、最近はblogなどで紹介されているため
 桜の人気スポットになってしまったようです。


 
 歓喜天と枝垂桜
 鮮やかなピンクがとても綺麗でした。

 
 
 
 
 
 
 枝垂桜

 
 歓喜桜
 歓喜桜は八重桜で、御室の桜と同じ品種です。

 
 観音堂
 観音堂に安置されている漆箔の木造千手観音立像は、平安時代中期の作とされ国の重要文化財です。
 
 
 
 



 
 御衣黄
 黄緑色の花をつける八重桜です。

 
 花が落ちてきた
 花びらでなく、桜の花がそのまま落ちてきたので上を見ると・・・スズメが・・・

 
 スズメが桜の花を啄ばんでいました。

 
 
 足元には桜の絨毯

 
 
 満開の桜もいいですが、桜吹雪の景色のほうが好きです。

       宿りして春の山辺に寝たる夜は 夢の内にも花ぞ散りける

  
 この景色を撮るため撮影の順番を待ち、曇るのを待ち・・・でした。

 
 弘仁12年(821)嵯峨天皇の病気平癒を弘法大師空海が祈願し、六臂の歓喜天(聖天)を安置した大聖歓喜寺が始まりとされ、
 当初、境内は広大で千本通五辻までありましたが、応仁の乱(1467〜77)により堂宇は焼失、荒廃してしまいました。
 天正年間(1573〜92)に雨宝院のみが現在地に再建されたと伝えられています。


 
 
 
 
 
 
 
 
 境内には桜だけでなくクリスマスローズやヤマブキ、椿、木瓜などの花が境内いっぱいに咲いていました。



2007年04月19日

本隆寺の満開の桜

 
 法華宗真門流総本山 本隆寺
 開祖日真大和尚は、長享2年(1488)に四条大宮に本隆寺を開創しました。
 後柏原天皇等の支援を得て法運は隆盛しますが、天文の法難に遭遇し、諸堂は悉く消失し泉州堺に避難しました。
 天文11年(1542)春、現在の地を得て再興され、承応2年(1653)には大火により諸堂を失いますが本尊は無事で、
 万治元年(1658)に再建されました。

 
 天明8年(1788)の大火により、再び山門・鐘楼・方丈・塔頭と悉く焼失しますが、本堂・祖師堂・宝庫は消失を免れました。
 このことにより「焼けずの寺」の異名がつくようになりました。

 
 本堂
 大火を免れた十七間四面の堂々とした本堂は京都府指定文化財で日蓮宗京都十六本山の中で最も古いものといわれています。
 塔頭八支院が境内を取り巻くように立ち並んでいます。


 
 染井吉野
 山門をくぐって直ぐにある満開のソメイヨシノ。

 
 
 
 この本隆寺もガイドブックには載っていないので観光客もほとんどなく、地元にとけ込んだお寺です。
 春には桜が境内を埋め尽くし、桜の穴場です。
 でも最近はblogで結構紹介されているので来年は観光客で一杯だったりして。。。


 
 夜泣き止め松
 五世の日諦上人が養育を頼まれた赤子の夜泣きに困った際、題目を唱えながらこの松の木を回ると泣きやんだという
 故事から名づけられました。

 
 
 
 枝垂桜
 本堂の裏にひっそりと咲いている、綺麗なピンクの枝垂桜。


 
 
 
 祖師堂
 京都府指定文化財です。


 
 
 
 轉法輪蔵


2007年04月14日

京都府庁旧本館 春の一般公開と観桜会

 
 京都府庁旧本館 春の一般公開と観桜会
 京都御所春季一般公開と同時期(4月4日〜8日)に開催されていて、旧本館中庭の桜や旧知事室・貴賓応接室などが
 見ることが出来ます。
 写真は明治37年建立の京都府庁旧館で、平成16年に国の重要文化財に指定されました。



 
 中庭の桜
 昭和の始めに円山公園の枝垂桜の実生木を植えたもので、円山公園の枝垂桜からかぞえて孫にあたります。
 ほとんど散ってしまっていないか?


 
 建物は中庭の桜を取り囲むように建てられていて、各部屋から桜を鑑賞することが出来ます。


 
 
 3本あるこちらの2本の枝垂桜は満開で、すっごく綺麗でした。


 
 2階の部屋から窓越しに満開の枝垂桜。窓枠が額縁です!!


 
 
 
 
 中庭は 七代目・小川治兵衛 によって設計された庭園です。


 
 京都府庁旧本館
 明治37年竣工の京都府庁旧本館はネオ・ルネサンス様式の煉瓦造で知事室や正庁 ・ 議場など50室余りの部屋があります。


 
 
 京都府庁旧本館・中央階段
 大理石で作られた2階へ上る階段は左右両方向に回り込む吹き抜けの階段で、中庭からの自然光が入り込みとても素晴らしく素敵でした。


 
 
 旧知事室
 明治37年から昭和46年まで使用されていた旧知事室です。
 ”日本の洋家具の父”と呼ばれた杉田幸五郎氏による調度品などがありました。

 
 
 正庁
 大正4年11月8日 夜の閣議を開催
 昭和3年の御大典を機に内閣・内務省を設置
 白い天井にシャンデリアと浮き彫りされた模様がとても素敵でした。

 
 
 廻り廊下は白い壁、そして上げ下げ式の窓からは明るい日差しが差し込んできます。
 そしてこの旧本館では今でも使用されている部屋がありました。

 
 旧本館の暖炉
 旧本館のうち、旧知事室・旧食堂・旧応接室・旧貴賓応接室の4室には暖炉が据付けられており、それぞれに凝った
 装飾が施されていました。

 旧知事室の暖炉
 旧知事室の暖炉は大理石にタイルを組合わせたもので、上部に大きな鏡が取り付けられていて、知事室に威厳を与
 える作りになっていました。

 
 旧食堂の暖炉

 
  旧貴賓応接室の暖炉

 
 
 京てらす
 京都府庁第2号館屋上は地球温暖化対策のひとつとして屋上に芝生や樹木を植え、花壇作られ屋上緑化のモデル
 事業として一般に開放されています。
 この”京てらす”は以前、ぽのこさんのblogで紹介されてましたよ〜。

 


2007年04月11日

六角堂の御幸桜

 
 六角堂
 六角堂の寺号は紫雲山頂法寺といい、西暦587年に聖徳太子が創建したお寺で、本堂が六角の建物なので六角堂と呼ばれています。
 しだれ柳も若葉を伸ばし、とても緑が綺麗で春満開といった感じです。
 

 
 ご本尊は太子の護持仏といわれる御丈1寸8分(約5.5cm)の如意輪観世音菩薩で、平安時代から霊験をたたえた記録や
 説話も数多く残されています。
 

 
 この地は太子沐浴の池の跡ともいわれ、池のほとりに小野妹子を始祖とする住持の寺坊があったところから「池坊」
 と呼ばれ、この池坊代々の執行によっていけばなが完成されました。
 なんと六角堂は我が国の生け花の発祥の地なのです。


 
 六角堂境内 の枝垂桜が満開と聞き見に行って来ました(4月8日)


 
 御幸桜
 長徳二年(996年)花山法皇の六角堂の御幸により西国三十三所観音巡礼が始まったことを受け、花山院前内大臣が
 六角堂の桜を見て詠んだ歌から名付けられました。


 
 お気づきですか? 傘を開けた衝立の形も六角形です。

 
 
 御幸桜は早咲きの桜で、いち早く京都の町に春を告げてくれます。

 
 
 
 
 御幸桜、最初は優しい淡いピンク色ですが、暖かくなるにつれ濃いピンクに変化していきます。


 
  一言願い地蔵
 このお地蔵様は少し首を傾げられた姿をされていますが、これは悩んでおられるわけではなく、お参りに来られた方の願いを
 叶えてあげようかどうしようかと考えられているお姿です。


 
 合掌地蔵
 このお地蔵さんはお参りに来られて方の願いを手のひらに優しく包み込んで、その願いが叶えられるようにと、一緒に
 お祈りしているお姿をしています。
 手を合わせ、その手に願いをささやきながら吹き込みます。


 
 
 わらしべ地蔵
 このお地蔵様は特に小さな子供を守ってくださいます。


 
  へそ石
 桓武天皇の延暦12年(793年)に京都に遷都の時、当時の六角堂が道路の中央に当たったため、天皇が遷座の祈願されたところ、
 御堂が五丈(約15m)程北へ移動したという。
 その時、とり残された礎石がこの石であると伝えられています。
 また、京都のほぼ中央にあたるところから”へそ石”とも”要石”とも呼ばれています。


 
 現在は祇園祭の山鉾巡行の順番を決めるくじ取り式は京都市役所で行われていますが、江戸時代は六角堂で行われていました。

           世をいのる春の始めの法なれば君か御幸のあとはありけり


2007年04月07日

一之船入の桜

 
 
 一之船入
 ”一之船入”は木屋町通沿いに流れる高瀬川の始点にある掘割で、今は復元された高瀬舟が係留されています。
 高瀬川は角倉了以が慶長16年(1611年)に木屋町通二条下ル付近から鴨川を分流し開削した全長10km、幅7mの人工川です。
 後ろの赤い建物は日本銀行京都支店です。


 
 高瀬舟の荷物のあげおろしをする船溜所を船入といい、一之船入は江戸時代の交通運輸の貴重な遺跡です。


 
 
 
 
 昔は底が平たく舷側の高い高瀬舟が盛時には百数十艘が上下し、大阪などの物資を運びいれていました。
 木屋町筋には「木屋町」という町名の由来となった材木屋をはじめ多くの問屋が立ち並んで賑わい、船入はこの一之船入をはじめ数箇所に設けられていました。


          
 明治以後高瀬川は舟運の目的を失いましたが、両岸に柳を植えた景観は京都の情緒の大きな要素となっています。
 そして一之船入は江戸時代の交通運輸の貴重な遺跡として史跡に指定されています。


 
 
 
 桜には川や湖など水とあいます。
 高瀬川と桜、とても京都の繁華街にある風景とは思えません。



 
 そう、高瀬川に沿ってある木屋町通には飲食店が立ち並ぶ繁華街で、ここだけが江戸時代にタイムスリップしたような場所です。

2007年04月04日

京都・祇園白川の宵桜

 
 大和橋から白川の眺め
 大和橋(やまとばし)は江戸幕府によって、石柱・石桁・石板形式で架けられ、当時の白川は今より川幅がありました。
 当時の面影を残す石橋です。


 
 白川の宵桜
 祇園白川の桜がライトアップされているので行ってきました。
 メインは縄手通りから花見小路通りまでの白川南通りです。


 
 
 
 料亭から眺める景色はどうなんでしょうか?
 ほろ酔い気分できっと桜を見ているんでしょうね。


 
 新山の前の桜


 
 
 
 辰己大明神
 芸の上達を願い、お座敷(仕事)前に舞妓さんや芸妓さんがよく参りしています。
 お稲荷さんなのにここは狐でなく狸が祀られています。
 昔、この付近にいたずらな狸がいて橋を渡る人を化かして川の中を歩かせていた。
 そこで狸のいたずらに困った人たちが、お社を建て狸をお祀りしたところ狸のいたずらが無くなったと言われています。


 
 
           

 
 
 
 
 巽橋付近
 巽橋界隈は京町屋が整然と立ち並び祇園の中でも最も絵になりやすい場所です。
 白川や石畳などとも調和して、多くの観光客が写真を撮っています。


 
 
 新橋通
 白川南通の一本北にある新橋通は昔ながらのお茶屋街の雰囲気が残っていて、白川南通の喧騒が嘘のように静かな雰囲気が最高でした。
  そして花灯路も開催されていました。


 
 
 
 桜展なども開催されていました。


 
           
 川端通から縄手通
 ここは距離は短いですが桜のトンネルになっていて、すごく綺麗です。


 
 
 高瀬川
 帰りに通った、西木屋町通にそって流れる高瀬川です。