'09 秋休み-6 野口英世記念館
福島県猪苗代湖畔にある野口英世記念館。
1928年5月21日、野口英世博士が黄熱病で死亡したのち、東京で行われた追悼会に出席した人々により「野口英世博士記念会」を設立する話がまとまり、記念会の最初の事業として、翌年に生家の保存と二つの記念碑を建立、そして1938年に文部大臣より財団法人の設立が許可されその翌年の博士の命日には念願の「野口英世記念館」が開館しました。
生家は1823年に建てられたもので、少年時代を過ごしました。
その後家屋の傷みがひどく、隣家を購入し移り住み、その後生家は小屋として使用されたそうです。
1878年一歳半のとき運命の火傷をした囲炉裏や9歳で上京するとき決意を小刀で刻んだ床柱が当時そのままに保存されています。
柱には「志を得ざれば再びこの地を踏まず」と刻まれています。

子供のころ、偉人伝の本で読んだ野口英世の生き方に感動したことを思い出し、生き方の指針を示してくれたような気がします。
母、しかが幼いころ習った字を一生懸命思い出しながら英世に書いた帰国を促す自筆の手紙。
一文字一文字から深い愛情が感じられたどたどしい文書の中に、母の思いが滲んでいます。

母からの帰国の手紙を見たのですが研究に追われるためそう簡単に帰国することができませんでした。
母シカの心を察した英世の友人が母シカの写真を英世に送りました。
背を丸めてやせ細り、小さくなっている母を見た英世は大きな衝撃を受け急ぎ帰国しました。
境遇が似ているエジソンからプレゼントされました。

26歳の頃、ペンシルベニア大学病理学助手時代。
1903年3月7日のサインがあります。
研究室のデスクで研究に取組む野口博士の姿がロボットにより再現されています。
博士そっくりな容姿、快活な表情や語り、身振り手振りのゼスチャーを織り交ぜた動きには驚きです!
結構、ユーモラスなところがありましたが・・・
<母しかの手紙>
お前の出世にはみんな驚きました。私も喜んでおります。
中田の観音様に毎年、夜篭りをいたしました。
勉強をいくらしてもきりがありません。
鳥帽子という村からのお金の催促には困ってしまいます。
お前が戻ってきたら申し訳ができましょう。
春になるとみんな北海道に行ってしまいます。
私も心細くなります。
どうか早く帰ってきて下さい。
お金を送ってもらったことは誰にも聞かせません。
それを聞かせると、みんな呑まれてしまいます。
早く帰って来て下さい。
早く帰って来て下さい。
早く帰って来て下さい。
早く帰って来て下さい。一生の頼みであります。
西に向いては拝み、東に向いては拝んでおります。
北に向いては拝んでおります。
南に向いては拝んでおります。
ついたちには塩断ちをしております。
栄昌様についたちには、拝んでもらってます。
何を忘れてもこれは忘れません。
写真を見ると拝んでいます。
早く帰って来て下さい。
いつ帰れるか教えて下さい。
この返事を待っています。寝ても眠れません。