聖徳太子御火焚祭
聖徳太子の命日である11月22日に太秦・広隆寺で聖徳太子御火焚祭が行われました。
この日は普段は非公開の聖徳太子像が上宮王院太子殿で公開されました(写真撮影禁止)。
少しふっくらした顔に細い目が印象的でした。
また宝物館の秘仏薬師如来像も開扉されます。

聖徳太子の命日である11月22日に太秦・広隆寺で聖徳太子御火焚祭が行われました。
この日は普段は非公開の聖徳太子像が上宮王院太子殿で公開されました(写真撮影禁止)。
少しふっくらした顔に細い目が印象的でした。
また宝物館の秘仏薬師如来像も開扉されます。

国宝釈迦堂如来像で知られる清涼寺は地元では「嵯峨の釈迦堂」と呼ばれ人々に親しまれています。
広々とした境内は無料(本堂・霊宝館は有料)で散策できます。

京都の隠れた紅葉の名所第二弾です。
今回訪れたのは、京都鷹峰にある吟松寺です。
このお寺、最近はネットで”隠れた紅葉の名所”として紹介されていますが、まだまだ訪れる人は少ないようです。

京都の紅葉も色づいてきたので出かけてきました。
東山方面や嵐山など紅葉の有名な観光地は大変な人出です。渡月橋から天龍寺あたりは通勤ラッシュ並みの混雑でした。
で、出かけた先は観光客はまず来ないけど紅葉がとても綺麗な穴場的なところです。
まずは広沢の池です。
大覚寺から東500mほどのところにある池の周囲1.3kmの大沢の池とともに観月で有名な池で、春は満開の桜が穏やかな風景をかもしだします。

重要文化財である京都府庁旧本館の一般公開(秋)がライトアップのなか前期と後期に分けて開催されています。
春の公開の様子はこちらです。

秋の都大路を飾る京都三大祭の一つ、時代祭が10月22日に行われました。
今年の時代祭では紫式部の小袿が36年ぶりに新調されたそうですが、そのような写真は他のサイトでも紹介されるでしょうから今回はなしです。
今回の写真は行列前ののんびりとしたところや余り目にすることのない神事などを紹介します。
神事は桓武天皇と孝明天皇を祭った鳳輦(ほうれん)と呼ばれる2基の輿の前で行われます。

京都・北野天満宮の五穀豊穣を感謝する農業祭であるずいき祭が10月1日〜5日まで4日間にわたって行われました。

西ノ京の神人により、ずいき神輿という野菜や乾物等で趣向をこらした絢欄華美な神輿が御旅所に奉られ10月4日に巡行します。
屋根はずいき芋で葺いてありお神輿のあらゆりところは穀物や蔬菜・湯葉・麩(ふ)などで飾り付けられています。

建仁寺で開催された桑フォーラムにご招待を受け行ってきました。
建仁寺と桑の関係???
建仁寺を開山したのが栄西禅師で、『喫茶養生記』のなかで日本で初めて桑の効用について説かれたそうです。

講演は建仁寺塔頭である法観寺住職の浅野全雄師による「栄西禅師と桑」という内容でした。
法観寺といってもピント来ない方が多いと思いますが、八坂の塔のあるお寺です。
サスペンスラマの京都殺人案内でよく撮影に利用されている五重塔です。
先日のルのblog、高台寺・燈明会の最後の写真です。
講演の内容で一番印象に残っているのは、「仏教の教えに反して生活するのはよくない」ということです。
今の時代にピッタリのことだと思いました。
下の写真が栄西禅師。
「えいさい」と今まで呼んでいましたが、本当は「ようさい」と呼ぶそうです。
講演のあとは、楽しみにしていた茂山一門の狂言です。
方丈の間で行われたのですが、最前列で鑑賞することができ目の前で見ることができました。
観世会館や大きな舞台で演じられているのとは違い迫力あって楽しかったです。
本日の演目は”鐘の音”(茂山千五郎・茂山千三郎・島田洋海)。
内容は主人に鎌倉に行って“(息子の元服祝いに贈る小金飾の刀の)金の値”を聞いてこいと言いつけられた太郎冠者は、“鐘の音”と聞き間違え確認することなく鎌倉へ赴き、鎌倉の寺を回って鐘を撞き、鐘の音を聞いてまわります。
そして屋敷に戻った太郎冠者は主人にそれぞれの鐘の音の報告を行い、鎌倉で一番大きなお寺の建長寺のがよいと勧めます。
主人に勘違いして違うことを調べてきたことを怒られます。
そこで太郎冠者は、寺々で鐘の音を聞いたことを謡につくって舞い主人の許しをえます。
建長寺の鐘を対いているところです(茂山千五郎 )
太郎冠者をこらしめようとするのを止めています
主人に叱られる太郎冠者
鎌倉の寺の鐘の音を報告する太郎冠者
建仁寺といえばこれ、法堂の天井画・双龍図
潮音庭:小堀泰厳老大師作庭
風神雷神図屏風:俵屋宗達筆(国宝、複製)
衣鉢の間、伯楽:橋本関雪筆
唐子遊戯図:田村月憔筆
右:葦が茂る湖上に五人の唐子が舟から月を眺める風情を表しています。
左:遊び戯れる唐子たちの姿が闊達にあらわされ明るく動きのある絵になっています
最後に清涼軒でお抹茶を頂きました。
昨年からお茶の作法を習っているおかげで、緊張することなく美味しくいただけました。
平安京を完成させた嵯峨天皇の徳を偲ぶ祭礼「嵯峨天皇祭」が梅宮大社で行われ、夜には梅津六斎念仏が奉納されました。
梅津六斎念仏の起源は平安時代にまで遡る芸能六斎で、国の重要無形民俗文化財に指定されています。

<発願・六段>
六斎とは鉦や太鼓を打ちながら念仏を唱え踊る民俗芸能です。


<頼光と土蜘蛛>
大江山の酒呑童子を討った源頼光が土蜘蛛を退治した伝説に由来する演目です。


頼光(右)と土蜘蛛(左)

頼光に土蜘蛛が襲って歌舞伎と同じように千筋の糸をはでに放ちますが、頼光の見事な逆襲で土蜘蛛は一目散に逃げていきます。
<越後さらし>
梅津六斎念仏独特の芸能六斎で烏帽子を被った踊り手が両手に団扇にさらしをつけたもの器用に操っています。
越後獅子を連想させる動きは見ていてとても楽しかったです。

<祇園ばやし>
ひょとこやおかめがでてきてとてもユーモラスでした。
ひょとこは巻物を手にして登場し、その巻物をド〜ンと開けると”大爆笑”!!
そこに書かれていたのは“火の用心”でした。

<獅子と土蜘蛛>
獅子が休憩していると土蜘蛛が足で蹴り、獅子が激怒します。
土蜘蛛は千筋の糸を放ち獅子をがんじがらめにしますが、最後は獅子が土蜘蛛を追い出します。






夕方からは夜店も並び、念仏に続いて盆踊りも行われました。

自宅から自転車で十数分の大覚寺で弘法大師が除災招福を祈念し行われた真言宗の大切な法会”宵弘法”が行われました。

<御影堂(心経前殿)>
大正14年建造 大正天皇即位式場に建てられた饗宴殿を式後賜り移築したもの。
心経殿の前殿であり、内陣正面は心経殿を拝するため開けてある。
内陣左右に嵯峨天皇、秘鍵大師(弘法大師)、後宇多法皇、恒寂入道親王など大覚寺の歴史に大きな役割を果たされた方々の尊像を安置する。外陣は70畳ある 。 (大覚寺サイトより抜粋)
<勅使門>
年に3回だけ開けられるという勅使門。
宵弘法の日はここから入り、そして拝観料は無料です。
北嵯峨高校吹奏楽部の演奏もありました。
スウィングガールズみたいでカッコイイ!! 一度でいいからホラ以外を吹いてみたい(;一_一)

五大堂(本堂)や大沢池のほとりでの”お施餓鬼法要”、大沢池の中央に竹や丸太で組上げられた送り火の祭壇が真っ赤に燃えあがります。
<五大堂(本堂)>
五大堂は江戸時代中期の創建で不動明王を中心とする五大明王を安置している現在の大覚寺の本堂です。
五大堂では万灯会法要や回向の申込み受付が行われます。
灯籠:経木塔婆一体付きで2,000円でした。



本堂(五大堂)で行われた万灯会法要



一つまた一つと大沢池に浮かぶ灯篭と水面に写る炎の風情!

<お施餓鬼の法会>
池の桟橋に設けられた施餓鬼棚(祭壇)の前でお坊さんが塔婆に書かれたご先祖さまの名前を読上げ、ご真言をお唱えしています。

お坊さんが見守る中、松明をかざして船が池の中央の送り火の祭壇に点火するためにでていきます。
大沢ノ池に浮かぶ”嵯峨の送り火”

時折、竹がはじけるパーンという大きな大きな音がする中、燃え盛る送り火の炎が池を明るく照らしだします。
夜空に立上る炎と舞い飛ぶ火の粉はご先祖の霊を送っているようです。
この宵弘法、あまり観光化されておらず、ほとんどが地元の人たちで落ち着いた雰囲気の中で幻想的な雰囲気を味わうことができます。
嵯峨野の夏も地蔵盆と嵯峨野六斎念仏、化野念仏寺の千灯供養を残すだけとなりました。


六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)で8月7日から10日まで”六道まいり”が行われているので行ってきました。


昔は京都の東の地は亡くなった方を埋葬する野辺送りの場所で六道の辻と呼ばれ、この世とあの世の境といわれていました。
このお寺の名前にもなっている「六道」って言うのは、仏教でいう「六道輪廻」の世界のことで地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天人道という6つの世界のことを言い、この6つの世界が集まったところが「六道の辻」です。

参詣の順番は
1.境内において高野槙を購入。

2.本堂前でご先祖様の戒名・俗名を水塔婆に書いてもらいます。

3.迎え鐘を撞きます
この鐘は十万億土の果てまで響きこの音でご先祖様を呼ぶそうです。
この迎え鐘を撞くのに長蛇の列、門の外まで延々と続いていました・・・。

4.水塔婆を線香で清めます。


5.地蔵尊宝前において高野槙で水回向の後その場所に納めておきます。

購入した高野槇は自宅に持ち帰ります。
そうすると冥界で鐘の音を聞いたお精霊さんはこの高野槇の穂先を伝わって家に帰ってくるといわれています。
こうして現世にお迎えしたお精霊さんは16日大文字の送り火とともに冥界に戻られます。
そして8月17日に本堂前六道の辻にて全ての水塔婆を納め盂蘭盆会施餓鬼法要が行われます。
五山の送り火(大文字)は観光化されていますが、本当は京都人のお盆の一大イベントといえます。


閻魔堂に安置されている小野篁作と伝わる閻魔大王像(上)と等身大の小野篁像(下)


<熊野観心十界図>
この絵図は間の一生を上部の橋を渡ることにより誕生から死までをあらわし、下部に地獄や極楽が描かれています。

<西福寺>
六道珍皇寺から少し西に行ったところに西福寺があり、西福寺でも精霊迎えが行われていて多くの人がお参りに来られてました。
そしてこの期間(8月7日〜10日まで)は寺宝の地獄絵図をご開張しているのですが、この絵がちょっとすごいんですよ!


<檀林皇后九相図絵>
嵯峨天皇の皇后であった檀林皇后が死後の自分を描かせた絵図で死体が次第に崩れ土に還る様子を9つの段階を追ってとてもリアルに描かれています。
このような絵が何故描かれたかというと、檀林皇后の遺言によると言われています。
自分の死んだ後は葬式をせずに遺骸を野原に捨てよ。
その姿を見れば色欲に捕らわれた者たちを少しは悟らせることができるだろう。
あー、今の政治家や官僚に見せてやりたいです!!

<熊野観心十界図>

<地獄絵>
死について深く思いを馳せながら見入ってしまいました。

<祈祷銭>
一年間、財布の中に入れておき、翌年に交換してもらいます。

以前の西福寺のblogはこちらです>>>


<六波羅蜜寺>
西福寺を少し南に下がったところにある六波羅蜜寺でも迎鐘(おむかえがね)が行われていました。

本堂では16個の灯明を「大」の字の形に並べ祖先の霊を迎えて回向するように飾られていました。

六波羅蜜寺の迎鐘は六道珍皇寺のように並んでいる人もなくすぐに撞くことができました。
この鐘は日本で最初の地下にある大釣鐘だそうです。


<菩提樹の葉と仏塔>
境内では仏塔と菩提樹の葉の形に燈明が並べられ”お迎えの炎の絵”が描かれていました。
これは元はスリランカに古くから伝わる仏教徒の風習で先祖の霊や故人の霊を祭りこの世の平和を願う行事で、日本で行われている万灯会の原形ではないかと言われています。



醍醐寺の万灯会に行ってきました。
醍醐寺は真言宗醍醐派の総本山で世界遺産に登録されていて、豊臣秀吉が秀頼や北政所・淀君と花見行列の宴を催した広大な境内をもつ寺院です。
山号を醍醐山(深雪山)と称し、本尊は薬師如来・聖宝理源大師が開基しました。
万灯会は下伽藍(醍醐)で行われ、この日は駐車場・入山料は無料です。

暗闇の中、ご先祖様の霊を導くための約500個の灯籠の幽玄な灯火に導かれて歩いていきます。
灯りをともすことでご祖先様を供養し生きるものすべてに感謝をします。
金堂では施餓鬼精霊供養法要が行われ午後9時まで金堂と五重塔がライトアップされます。
<金堂:国宝>
豊臣秀吉の命により和歌山県湯浅から移築されたもので主要部は平安末期の様式を完全に残しています。
本尊の薬師如来と両脇侍は鎌倉時代の作で、いずれも重要文化財に指定されています。
(金堂内は撮影禁止)
暗闇の中提灯で輝いている金堂では平安時代から続く幻想的な祈りが行われています。
金堂の前には、ご先祖様供養の灯籠や子供たちが描いたかわいい絵の灯籠が輝いていました。


逆上がりができますように・・・可愛らしいお願い事が書かれています。
スポーツは大好きなルッチーも器械運動だけは大の苦手でした。
鉄棒にマット運動・・・、思い出したくもない・・・(;一_一)

先日の高台寺・燈明会よりも人は少なく暗闇の中時間がゆっくりと流れていきました。
あまり宣伝がされていないので観光化されている様子が少なく地元に密着した行事でした。
<五重塔:国宝>
醍醐天皇のご冥福を祈るために朱雀天皇が起工し951年に完成し、京都府下最古の建造物です。
内部の壁画は日本密教絵画の源流をなすものといわれています。

五重塔の前では有縁無縁の精霊へ捧げられる僧侶の読経が一心に唱えられ、暗闇に厳かに響きわたっていました。
この五重塔、京都には醍醐寺・教王護国寺(東寺)・仁和寺・法観寺(八坂の塔:先日の高台寺駐車場からの写真に写っています)と4つあります。

五重塔の周りを心を静めて歩くとご先祖様の供養になります。
そして五重塔の周りには地元の小中学生が作った灯篭やが飾られていてそこだけが賑やかでした。
そうめんの無料接待が行われていました。
土生姜が入っていてとても美味しかったです!!
夜店ではお参りに使う高野槙やお盆には欠かせないホオズキが売られていました。

桃山文化の香りただよう高台寺で行われている夏の夜間特別拝観・燈明会に行ってきました。
高台寺参道には約900張の燈明会提灯が灯され、また、重要文化財の「開山堂」をはじめとする伽藍や枯山水庭園「方丈」などの名勝庭園もライトアップされ境内全体が幽玄な雰囲気に包まれます。

高台寺は東山霊山(りょうぜん)の山麓、八坂法観寺の東北にあります。
正しくは高台寿聖禅寺といい、豊臣秀吉没後、その菩提を弔うために秀吉夫人の北政所(ねね)が慶長11年開創した寺です。
寛永元年(1624)7月、建仁寺の三江和尚を開山としてむかえ高台寺と号しました。
造営に際して、徳川家康は当時の政治的配慮から多大の財政的援助を行なったので寺観は壮麗をきわめたといわれています。
しかし寛政元年(1789)以後、たびたびの火災にあって多くの堂宇を失い、現在残っているのは旧持仏堂の開山堂と霊屋、傘亭、時雨亭、表門、観月台等で国の重要文化財に指定されています。
(パンフレットより抜粋)

<湖月庵>
春や秋の特別拝観ほど有名でないのか、人も少なく、ゆったりとした時間の中のんびりと散策できました。


<高台寺庭園>
開山堂を中心に東の臥龍池、西の偃月池の二庭よりなる池泉回遊式庭園です。
小堀遠州の作で国の史跡、名勝に指定されています。
上の写真:左側のやや高くなっている屋根の所が秀吉遺愛の観月台です。
観月台は檜皮葺きの四本柱の建物で三方に唐破風をつけた屋根の下から観月するための建物です。

<開山堂>
高台寺第一世の住持、三江紹益禅師(1527-1650)を祀る塔所です。
左右壇上には木下家定(ねねの兄)、雲照院(家定の妻)等の像も安置されており礼堂部中央の彩色天井には北政所の御所車の天井、前方の格子天井には秀吉が使った御船の天井が用いられています。
(中は撮影禁止です)

<臥龍池>
今にも吸い込まれてしまうかと感じてしまう鏡のような臥龍池にはライトアップされた青紅葉など周囲の木々が映し出されていました。
紅葉の時期は人・人・人・・・で、すごい混雑で撮影はほぼ不可能ですが、今日はゆったりとした時間が流れていました。

書院では円山応挙の有名な幽霊図や地獄極楽図屏風、幽霊の掛軸などが見られる百鬼夜行展が行われていました(残念ながら撮影禁止!!)
古来日本では生き物と同じく道具にも魂が宿っていて道具を大切にするという意味を込めて描かれたのが百鬼夜行の図です。


表情に愛嬌があって可愛い九十九神。
古くから道具は百年経つと精霊が宿るという云われがあり、九十九年目に精霊が宿る前に捨てられた道具が化け物や妖怪に姿を変えて夜の闇の中を行列する様子が描かれています。

<方丈>


方丈前の庭にはろくろ首や唐傘おばけだけでなく、竹や傘おばけなど高台寺ゆかりのおばけたちの映像が映し出されていました。

門前の塔頭・圓徳院の土塀に映し出されたカラフルでユーモラスな百鬼夜行絵巻の妖怪たち。

ライトアップされた竹林。

<雲居庵>
お抹茶のサービスが行われていました。

<傘亭と時雨亭>

<高台寺天満宮>

駐車場からの八坂の塔と京都タワー。
お寺で夏の夜を涼しく過ごしてみようと出かけましたが、随分と汗をかきました。
燈明会は秀吉の命日である18日まで行われます。

<下鴨神社の楼門>
下鴨神社 の” 御手洗祭 ( みたらしまつり )” は手洗社の夏の土用の祭札で、平安貴族の禊祓いに由来する 「 足つけ神事 」 です(7月24日〜27日)。
土用の丑の日に多くの老若男女が境内の御手洗川に足を浸し、御手洗社までゆっくり歩き、献灯し罪やけがれを祓い無病息災を祈ります。

ライトアップされた下鴨神社は威風堂々として大変美しいです。

ビニール袋に靴を入れ灯明料200円を納め竹串にさしたロウソクを頂き、輪橋をくぐって”みたらしの池”へと冷たい水の中を歩いていきます。

御手洗川は湧き水のためか思ってた以上にとても冷たく、汗が一瞬にしてひくと同時に気持ちが引き締まりました。
水は膝ぐらいまであり結構深かったです。




御手洗池で膝まで冷たい水につかりながら、無病息災を祈ってロウソクを灯します。
ロウソクの灯が水面に揺らめき、並んだ明かりは何と幻想的なも雰囲気でした。

お祈りを済ませ川から上がるとご神水をいただきます。
ご神水をいただくと諸病にかからず延命長寿の霊験が得られるといわれています。
お味は流石、京都盆地の地下水、とても丸くてまろやかな喉越しで一気に飲み干しました。

<足形祈祷木>
足形に名前と年齢を書き、無病息災・健脚祈願をします。
初穂料:200円

“みたらし団子”発祥の地らしく、みたらし団子が奉納されていました。
みたらし団子は糺の森の御手洗池に湧く水の泡・人の体を表しているという説があり、団子が1個と4個に分かれて刺されています。
京都のみたらし団子は甘い蜜が掛けられていますよ!!

参道には夜店や屋台がずらっと並んでいて、いつもは静かな参道も大賑わいです。

御田祭は約600年前から松尾大社にて行なわれている虫除けと五穀豊穣を祈る神事で、神前には野菜が供えられています。
お祭りの主役は地元の下津林・松尾・嵐山の3地区から1人づつ選ばれる12歳前後の植女(うえめ)。



本殿では宮司が祝詞を詠み上げ、謡曲が奉納されます。

色鮮やかな衣装に身を包んだ植女は、社前で宮司から神稲(早稲・中稲・晩稲の3種類)を手渡されます。



神稲を手にした植女は壮夫(父親)の肩に乗り、宮司や楽人の先導により拝殿を3周します。

植女の衣装は紗を張ったカイバリ(内掛け)を着て、花などで飾られた花笠を被り、紅白のちりめんのたすきを掛けています。

植女の額には汗が・・・!
この日の京都は35℃を超える猛暑日でしたから・・・(;一_一)


神饌田で植女から苗を譲り受けの祭壇に。
たすき掛けの男女が神饌田の4隅に苗を植えます。

神官が持っていた杖と竹で田の四隅を叩く虫除けの儀が行われ、一連の神事が終了しました。
(7月20日に行われました)
夏の京都に欠かせない行もである祇園祭の山鉾巡行も今日17日無事に終りました。
Blogへのアップが遅くなりましたが、先日の昼間に見てきました鉾や展示物などです・・・。



<蟷螂山・とうろうやま>
大蟷螂と御所車という珍しい組合せの山です。
“かまきり山”とも呼ばれ屋根の上のからくりを施されたカマキリの羽や鎌が動く唯一のからくり山です。
「蟷螂の斧を以て降車のわだちをふせがんと欲す」を題材にした山で「自分の力をわきまえずに大敵に立ち向かうことで勇敢さを賞した」中国の君子の故事に由来しています。

<カマキリのおみくじ>
ハンドルを回すと、扉が開き玉が出てきます。
カマキリが玉を受け取るという仕掛けになっています。

<放下鉾>

鉾の上から下を眺めたところです。

他の鉾は、鉾に上るためには粽(ちまき)を買うか拝観料が必要ですが放下鉾は無料でした!!

鉾の天井です。

三光丸物語
三光丸--鉾頭が日・月・星の三光が下界を照らすことより、久邇宮多嘉王殿下から命名された稚児人形。
木彫りの放下頭巾を被り、右の肩背に真鍮製の唐扇子、左の肩背に采配をさしています。
もともとは生稚児だったのですが昭和4年より人形に変わりました。
巡行の折には稚児と同じように、鉾の上で稚児舞ができるようにつくられています。


放下鉾の新下水引は、華厳宗祖師絵伝をした絵にした綴織です。


<月鉾>
屋根裏の草花図は丸山応挙


<菊水鉾>
昭和28年、88年ぶりに再興された豪華な「昭和の鉾」で稚児人形は菊の露を飲んで長寿を保ったという枕慈童。
町内に古くからあった菊水井戸にちなんで名付けられ鉾頭には金色の菊花をつけます。

<仕込みさん>
ぶらぶら歩いていると前から”仕込みさん”が・・・
仕込みさんとは舞妓としてデビューする前の舞妓見習いさんのことです。

<粽・ちまき>
祇園祭りの粽は食べるものではなく、玄関など門口に疫病災難除けとしてつるしておきます。
昔、素盞鳴命(すさのをのみこと)が旅で一夜の宿を求めたとき、貧しい蘇民将来の家で受けたあたたかいもてなしに対し(富福な家の兄は断わった)そのお礼として蘇民将来の子孫には疫病の厄を免れさせようと約束し、目印として茅の輪を腰に付けさせたのが粽のおこりとされています。
この粽、各山鉾町内によって値段が違うんですよ( ..)φメモメモ



<祈念ふろしき>
福つつみ・縁つつみ・運つつみの3種類の風呂敷があり、みんな思い思いのお願い事を書いていました。
風呂敷屋さんのイベントのようです!

<山伏山>
胴掛や欄縁金具などが飾られています。


<修験者、浄蔵貴所>
右手には苛立数珠、左手には斧を持ち腰には法螺貝をつけ笈(おい)を背負っています。
昔、八坂の塔が傾いた際、法力をもってなおしたと伝えられています。

祇園祭の運営は鉾や山のある各町内が行うのですが、補助制度はあるのですが莫大な費用がかかるため、それぞれの鉾や山では 厄除けの粽やオリジナルのグッズを売っています。

<鯉山>
龍門の滝を登った鯉は龍になるという中国の伝説を基にした立身出世の金言「登竜門」を題材にした山です。
山全体を飾る前懸・胴懸・水引・見送は「イーリアス」トロイア戦争物語の場面を描いた16世紀のベルギー製。
国の重要文化財です。

<黒主山>
謡曲「志賀」を題材にした山です。


ご神体は六歌仙の一人、大伴黒主が桜の花を仰ぎ眺めている姿をあらわしています。

黒地に朱で「黒」と書かれた団扇やTシャツ、そして京都土産の定番である生八つ橋の黒八つ橋が売られていました。
黒主山では数量限定で食べられる粽を売っているそうです・・・(;一_一)



<山伏の巡拝>
聖護院門跡寺院の修験僧がいくつかの山鉾町を周り奉経を行います。


<北観音山>
前掛け・見送り(山や鉾の周りを飾る布)は各鉾や山ごとに特色があります。


<南観音山>


<屏風祭>
宵山の期間中(7/14〜16)に山鉾町内の旧家が家宝の屏風や掛け軸などの美術品を飾り公開しています。
京の町衆の教養や財力の象徴ともいえる逸品は、普段見ることのできない貴重なものです。
上の写真:松坂屋 下の写真:藤井紋


<吉田家>
京都にある典型的な京町屋で日本の坪庭の特徴をうまくあらわしています。
坪庭の奥には座敷がありそのまた奥に広い庭があります。
坪庭には直射日光があたらず、日のさす奥の庭との間に温度差がおきて自然対流により自然の風が涼しげに流れるようになっています。
また葭戸(よしど)も京町屋の夏には欠かせないもので目隠しにもなり、風は通るというすぐれ物です!

京都では一昨日の7月10日から祇園祭の鉾建てがはじまっています。
京都のメインストリートである四条通りには長刀鉾や函谷鉾などの鉾が釘を1本も使わず組み立てられています


<函谷鉾>
函谷鉾(かんこぼこ)は、四条通烏丸西入ル函谷鉾町の鉾で応仁の乱(1467〜1477)以前に起源をもち、くじ取らずの鉾として鉾では長刀鉾に次いで第二番目に巡行し鉾櫓、屋根の規模は大きい方である。
鉾の名は中国戦国時代(前403〜221)斉の孟嘗君(もうしょうくん)が函谷関で家来に鶏の鳴声をまねさせて関門を開かせ難を逃れたと言う故事にちなんでつけられている。 (函谷鉾サイトより抜粋)

<月鉾>
月鉾は、真木の中程の「天王座」に、夜と水徳の神の月読尊(つくよみのみこと)が祀られています。
右手に櫂を持ち、月を仰ぐ姿で船に乗っています。

天辺の鉾頭(ほこがしら)に掲げられた、横40cm・上下24cmの金色の三日月お月さま(三日月)です

7月になると、各鉾ともそれぞれの「会所」でお囃子の稽古が始まり、会所の二階でお囃子をするので「二階ばやし」と呼ばれています

「古事記」によると月読尊は、伊弉諾尊(いざなきのみこと)が黄泉の国から戻って、禊祓い(みそぎはらい)をしたときに右眼を洗ったときに生まれた神といわれています。

月鉾は1864年の鉄砲焼けの大火でも、失ったのは真木だけで細部にまでいたる様々な古い豪華な装飾品が残され、いたるところに金属の装飾が施されていて山鉾のなかでも最重量を誇り”動く美術館”と称されています




鉾が今のような形になり豪華な飾りを付けるようになったのは、桃山時代から江戸時代にかけて町人の文化が花開き、海外との貿易が盛んとなる頃からです。
中国やペルシャ、ベルギーなどからもたらされたタペストリーなどを各山鉾に飾るようになり、山鉾は「動く美術館」とも呼ばれ、町衆の力によって祭りの伝統は現代まで守られています。

<放下鉾(ほうかぼこ)>
胴体になる胴組みを、釘を使わずに荒縄だけで組み上げます。
放下鉾の名前は真木のなかほどの「天王座」に放下僧の像を祭ることに由来しています。
放下僧とは街角で芸をしながら仏法を説いた僧です

真木
20数mもあり、根元の方は木材ですが中ほどからは竹。
釘は使わずにうまく繋がれていきます

古書には鉾の真木が長すぎて悪口を言われ少し切詰めたと書かれています。

鉾が建ちはじめ、室町界隈ではセールの準備を始め、いよいよお祭らしくなってきました。

美山かやぶきの里
美山川沿いに雛壇状に形成された集落で、茅葺き屋根の家屋が建ちならび農村の原風景ともいうべき風情が見られます。

かやぶきの里北村は現在50戸中38戸がかやぶき屋根の建築の集落で、集落でのかやぶき建築数は
岐阜県白川村荻町、福島県下郷村大内宿に次ぐ全国第3位です。

伝統技法による建築物群を含めた歴史的景観の保存度への評価が高く、平成5年12月に国の重要伝統的建造物群保存地区の
選定を受けました。

集落の入り口には今では見られなくなった、昔ながらの赤ポストがあります。

破風
小間の一番上にある三角の部分です。
風通しの役割や昔はすべての家が囲炉裏をたき家中を煙でいぶしていましたので、煙を抜く役割などがあります。

もともとは真ん丸い穴があいていただけですが、ちょうどこの集落にかやぶき民家が建ちだした200年位前から、
破風にも飾り付けをするようになってきました。
家紋を彫ったり、魚の形をした彫り物(けんぎょ)を付けたりするようになってきました。
この集落には8種類程度の家紋が施されています

重要文化財・石田家住宅

慶安3年(1650年)建立。
北山型の農家住宅としては日本最古のもので、昭和47年に重要文化財に指定されました。
現在は外観のみ公開されていて、土・日は家屋内部も見ることができます。

外は縁側となっています。
障子が無く板戸で仕切られているので内部はかなり暗いですが、先人の生活様式を肌で感じることが出来ます。

囲炉裏のある部屋
<案内板より・・・>
石田家住宅はしばしば樫原で庄屋を務めた旧家である。
昭和48年10月より18ヶ月をかけて解体修理がなされ、この時に『慶安3年(1650年)3月11日』の墨書が発見され、
建立年代が確定され、現在年代の明らかな民家としては最古と言われている。

この住宅は入母屋造、茅葺で西妻側に入口を設ける妻入とする。
平面は棟通りで表・裏側と二分割され、表側の奥より座敷「オモテ」、下座敷「シモンデ」、馬屋「マヤ」、裏側は納戸「ヘヤ」、
台所「ダイドコ」、土間「ニワ」と並ぶ。

オモテ(父母の部屋)
オモテだけが畳敷で、間仕切は板壁と袖板壁片引戸で区切られ、ダイドコとヘヤ境に帳台構(ちょうだいがまえ)が二間並び面白い。
土間は床面近くまで土を盛上げる「アゲニワ」とする。

台所のクド
小屋組は棟束と母屋束・繋梁で構成される「吊」字型の「おだちとりい」組と呼ばれる形式で組まれている。

台所(奥は馬屋)
当家のような独特の形式を「北山型民家」と総称され、旧北桑田郡(現南丹市)を中心とする丹波地方東部に分布し、
石田家住宅はその最も古い例で、指標となる貴重な民家である。

昔の台所

上の洗い場で使われた水などはココから外に流れ出ます。

祖父母の部屋
かやぶきの里は多くの人が訪れていましたが、石田家は訪れる人も少なくひっそりとしていました。
観光地化されていない石田家はお世話をしてくれている地元のおばちゃん達の優しさにホッとしました。
拝観料も志です。
石田家の近くにひっそりと佇む大原神社も静かでお気に入りのスポットです。

京都・福知山にある観音寺にアジサイを見に行ってきました。

参道のアジサイ
観音寺は”関西花の寺第一番霊場”で、丹波あじさい寺とも呼ばれています。

観音寺は1300年もの間善男善女によって拝まれてきた霊佛観世音菩薩さまがお祀りされています。

アジサイ寺の始まり
観音さまの霊力で眼病が治り、再び光明を得たお礼にと七色に変化する光の花、あじさいを数本植樹されたのが始まりと言われています。

縁側に腰掛けて、しばし時を忘れてアジサイの丘を見上げるともう別世界のようです。




境内を彩るアジサイは約100種類1万株。
瑠璃色のヒメアジサイや鮮やかなブルースカイ、深い青から赤みを帯びた紫色の花が満開でした。

七観音霊場めぐり
多くの方が病気平癒や縁結びなどの諸願成就を祈願してお参りされています。
数々の奇蹟が起こっているそうです!!

聖観音菩薩
アジサイを愛でながら観音菩薩さまに鐘を2つ打ってお参りします。
一つは仏国浄土のおんため、もう一つは家内安全・心願成就のために。

あか水
弘法大師お手掘りの井戸で、祈祷後、お土砂と共にこの水を頂くと楽になれると言い伝えのある霊水です。

慈母観音菩薩

お地蔵さまとアジサイ
なんとも言えない、可愛いお顔をした心安らぐお地蔵さまです。

本堂
ご本尊は十一面千手千眼観世音菩薩。
ご利益は病気平癒と開運招福で、一年間健康で小遣い銭に不自由しない金わらじがお守りとなっています。

おみくじ祈願ダルマ
御神籤の後、ダルマにお願い事を一つ書いて格子に納めます。

ダルマの力で幸運を引き寄せることが出来、ダルマは持ち帰ってもいいそうです。

心の伝道室
住職の心安らぐ詩画が展示されています。その中のいくつかを・・・

やまない 雨が ないように 終わりのない 悲しみもない

おおらかに おおらかに とにかく おおらかに
心をたもって おれば 人間の悩みは
ちっぽけなもの す〜っと虚空の中に 消えていく

大きい小さい 速い遅い 強い弱いを 優劣としえみるのが人間の眼 個性としてみるのが仏の眼

この世に 存在するもので 無駄なものは 何ひとつない
プラスになるように プラスになるように
考えて生きることが 大事ですぞ

アジサイを見た後は、お抹茶とアジサイの和菓子で休憩です。

ふと、窓の外を見ると一輪だけ咲いている花がありました。

京都府の溜池100選に選ばれている福知山市野笹の睡蓮池に睡蓮を見に行って来ました。

睡蓮がこれほど大きな池に咲いているのも珍しいです。

水面のほとんどが睡蓮の丸い葉で覆われ、赤や白、黄色の花が水中から顔を出していました。

この溜池は元々は灌漑用水でしたが昭和41年6月12日、増水のため突如堤防が決壊して廃池になりました。
その後、地元住民が植えた数株が次第に広がり、現在では約1000株の赤や黄・白・桃色の清楚で可憐な花が水面を飾っています。

東方には大師山を仰ぎ、池の周囲は堤防が整備されて遊歩道が作られています。
松籟の中を歩いていくと茅葺の東屋がありました。

睡蓮の花が開く時の”ポン”という音は神秘的だと言われています。
かなり早起きが必要です。
一生聞けそうにありません!

エジプトでは「太陽のシンボル」とされ神聖な花とされていいて、エジプト・バングラデシュ・タイの国花です。

睡蓮の和名はヒツジグサ(未草)といい、未の刻(今の午後 2 時)に咲くことから付けられました。



野笹堂山お大師 四国八十八カ所霊場巡り
遊歩道の横からは第13番阿波の大日寺のお遍路が始まります。

野笹堂山お大師 四国八十八カ所霊場巡りは村内や近郷近在の多くの人々から寄せられた熱心な願いと篤いご報謝により
明治35年に開かれました。

キイトトンボ
お遍路道を歩いていると、黄色が鮮やかなトンボを見かけました。
イトトンボの仲間で平地や丘陵地、低山地の水草のよく茂った池や沼などに生息しています。

閑院宮邸跡(かんいんのみや)
歴史的価値が高い京都御苑の西南角にある閑院宮邸跡の建物と庭園の修復工事が終わり、2006年4月6日から一般公開
が行われています。
閑院宮邸跡は江戸時代から続いた閑院宮家の屋敷跡で、200もの宮家や公家の邸宅が立ち並ぶ公家町であった京都御苑
に現存する唯一の公家屋敷跡です。

閑院宮家は伏見宮家、桂宮家、有栖川宮家と並ぶ江戸時代の四親王家の一つで、1710年に東山天皇の第8皇子直仁親王を
始祖として創立され、公家町南西部のこの場所に屋敷を構えました。
創建当初の建物は天明の大火(1788年)で焼失し、その後再建されていますが、現在の建物との関係など詳しいことはわかって
いません。

この場所が閑院宮家の邸宅として使用されたのは、明治2年の東京遷都に伴い閑院宮家が東京に移った明治10年までです。
閑院宮が東京に移られてからは華族会館や裁判所として一時使用され、御苑の整備が一段落した明治16年に旧宮内省京都
支庁が設置されました。
現在の建物はその時に新築されたという記録があり、当時存在していた閑院宮邸建物や材料が使用されたと推測されています。


第2次世界大戦後の昭和24年、京都御苑が国民公園となってからは、厚生省、のちに環境庁の京都御苑管理事務所などに
使用されていました。
平成18年3月に改修工事を終え、京都御苑の自然と歴史についての写真・絵図・展示品・解説を備えた収納展示室と庭園な
どを開放しています。

玄関から展示室への廊下。右は中庭、レクチャーホール

庭園から見た閑院宮邸跡
敷地内東南には庭園の一部として池が遺されています。
事前の試掘調査で新旧の池底や州浜状の石敷きが確認され、当初の庭園は18世紀中ごろに作庭されたそうです。
今回の整備では作庭当時の遺構は保存し、その上に緩やかな州浜を設け作庭当時の池の意匠が復元されています。


収納展示室
様々な写真や絵図などがあり、京都御苑の自然と歴史について詳しく知ることが出来ます。

東福院門入内図屏風(とうふくもんいん じゅだいずびょうぶ)
徳川秀忠の五女・和子(まさこ、のちの東福門院)の嫁入り行列が描かれています。
嫁入り道具だけで560個もあり、徳川家の威信が示されています。

大内保存御沙汰書
明治維新まで御所を中心に公家屋敷が建ち並んでいた現在の京都御苑一帯は、東京遷都により荒廃してしまいました。
1877年(明治10年)に久しぶりに京都に戻った明治天皇はその様子に驚き・哀しまれ、御所保存・旧観維持を命じられた事で、
京都御苑整備の原点ともいえる大内保存保存事業が開始されました。
この文書はそのときの「大内保存御沙汰書」で「京都大内(御所)は千年余の皇居であるが、東幸後未だ数年に過ぎないのに荒廃し、
九門以内も荒蕪となったので、特旨を以って本年より明治21年まで毎年内庫の金4千円を給付する。
京都府においては保存の方法を設け、永く旧観を失わぬように」という旨が記されています。

虹梁とかえる股
天井に虹梁(化粧ばり)とかえる股を置き、化粧屋根裏天井となっています。

州浜(すはま)
州浜は京都御所や桂離宮などに見られ、海辺の壮大な景色が表現されています。
宮廷の庭園で見られる州浜が、閑院宮邸で確認されたことに注目されています。

鵺伝説(ぬえ)
平家物語「鵺」の章に、妖怪が毎夜現れて天皇をおびえ苦しめたため、源三位頼政にその退治を命じる一説があります。
頭は猿、むくろは狸、尾は蛇、手足は虎の姿なり。
鳴く声鵺にぞ似たりける。
おそろしなんどもおろかなり(恐ろしいどころではない、大変恐ろしい)。
縫えはトラツグミの別名で、冬の深夜に不気味に鳴くので妖怪の声に例えられたようです。

御所のもみじ
新緑のもみじと、新芽の濃い赤色が美しい野村もみじ。

御所の細道
御所の中の道は砂利がかなりの厚みで敷き詰められています。
これでは自転車で走るのは大変しんどいで寿司、転倒しそうになります。
でも、自転車が長年走りつづけたおかげで自転車の走行跡がとても走りやすくなっています。

くつろぐ猫
余りにも無防備で寝ている猫を発見!!
猫は苦手ですが生まれて初めて猫の写真を撮りました。

収納展示室
休館日 :月曜日・年末年始(12月29日〜1月3日)
参観時間 :午前9時〜午後4時半 ※受付は午後4時まで
入場料 :無料
庭園
参観時間 :午前9時〜午後4時半
入場料 :無料

下鴨神社の御陰祭を見に行ってきました(5月12日)。
5月は葵祭の月です。
下鴨神社では数々のお祓いの儀式を行い葵祭を迎える準備をします。(昨年の葵祭の様子)
まずは3日のやぶさめ神事に始まり4日の斎王代のみそぎの儀、5日の歩射(ぶしゃ)神事、12日の御蔭祭の御生神事。
そして15日に葵祭を迎えます。
この御陰祭は葵祭に先駆けて神霊を下鴨神社に迎える重要な神事です。

緊張の面持ちで出番を待つ方々。

かけかずら
桂の枝と葵を組み合わせています。

この日は早朝から祭官や氏子・供奉者など約150人が下鴨神社から比叡山の八瀬御影神社に向かい神移しが行われます。
神聖な儀が終わると、赤の宮神社に立ち寄り下鴨神社南参道までの約1kmを巡行します。

中央の白馬に神様がのっているそうです。

下鴨本通りから下鴨神社に向かう行列。

綺麗に着飾れた馬。
でも重たそうで、かわいそう!



新緑の森を進む神馬、その背中には錦蓋(きんがい)がのっています。


大行列が下鴨神社の参道にぞくぞくと戻ってきます。

神様に捧げる葵の葉

糺の森では神馬の前で”東遊び”の舞楽が奉納されます。
中央の建物に神馬がいます。



和琴や篳篥(ひちりき)、笛などの音色に合わせ、時に両手を大きく広げ6人の男性が舞います。
このときに御蔭祭の神と人とが対話をすると言われています。



神様を迎える事により生命力が増し、人々の体内にも力がみなぎる・・・そんな喜びを表現している舞です。





日本最古の酒造の神様で、子授・安産のご利益で有名な梅宮大社の神幸祭を見に行ってきました(5月3日)。
橘諸兄の母、橘三千代が酒解神、酒解子神(大山祇、木花咲耶姫)を祭り酒造安全と子孫繁栄を祈願した神社で
境内にまたげ石があり産砂をうける風習があります。

この祭は子供神輿16基と大神輿1基が氏子町内を巡行する大祭で氏子崇敬者の家内安全と繁栄を祈願するものです。
お神輿は11時頃に神社を出発し、各町内を練り歩き神社に戻ってくるのは19時頃です。
そして各町内ではお神酒などの接待が行われます。

でも、このお神輿は担ぐのではなく台車に載せています。

屋台も出ていて中々賑やかです。


神苑無料開放
そして今日はお祭り!
なんと、杜若や躑躅などが見頃の「神苑」を無料開放してくれます!!(普段は500円です)
この神苑は神苑は、咲耶池の「東神苑」、紅玉池の「北神苑」、梅林の「西神苑」の3つで構成されていて、計算し
造営された庭園と違って、花や木々がのびやかに育っていて心がウキウキしてきます。

茶室・池中亭と咲耶(さくや)池:東神苑
咲耶池の周りには杜若や霧島つつじが咲き誇っていました。


茶室・池中亭
茶室の”「池中亭”は”芦の円屋(まろや)”とも言われ、大納言・源経信が平安時代の梅津の里の風景を歌った百人一首
『ゆうされば かどたのいなば おとずれて あしのまろやに 秋風ぞふく』 の名残です。

茶室の茅葺屋根の形は往時の芦の円屋の姿を今に伝える唯一のもので、その風雅な屋根の形は他に類を見ない
と言われています。

満開の躑躅
東神苑や北神苑には霧島つつじ・平戸つつじ・久留米つつじが満開でした。






霧島つつじ
庭一面がまっ赤になり周りの緑と対照的でとても綺麗です。

藤棚
北神苑の紅玉池の畔にある藤は満開でした。


藤の花は清々しさの中にも甘さのある香りです。

鮮やかに咲き誇るつつじと、たおやかな佇まいの藤の花・・・最高です!!

アゲハチョウも柔らかい日差しの中、甘い蜜を一杯吸っていました。

満開の松尾大社の山吹を見に行って来ました(4月30日)。
松尾大社は京都最古の神社で、太古この地方一帯に住んでいた住民が、松尾山の神霊を祀って、生活守護神
としたのが起源といわれます。
五世紀の頃、朝鮮から渡来した秦氏がこの地に移住し、山城・丹波の両国を開拓し河川を治めて農林産業を興しました。
同時に松尾の神を氏族の総氏神と仰ぎ、文武天皇の大宝元年(701年)には、山麓の現在地に社殿が創建されました。
都を奈良から長岡京、平安京に遷されたものも秦氏の富と力によるものとされています。
従って平安時代当社に対する皇室のご崇敬はきわめて厚く行幸数十度に及び、正一位の神階を受けられ名神大
社二十二社に列せられて賀茂両社と並んで皇城鎮護の社とされました。(松尾大社サイトより抜粋)

この拝殿(左側)で、節分の時に石見神楽がおこなわれてました。

満開の山吹
約3000本もの一重、八重の黄金色の山吹が一ノ井川の畔や楼門付近をメインに境内のいたる所で咲き乱れていました。


楼門と一重の山吹


楼門と八重の山吹


楼門と一の井川


一の井川と水車

一の井川と土蔵

神使の庭・亀と鯉

撫で亀さん(神使の亀)
古来、亀と鯉は松尾大神様のお使いと伝えられていて、特に亀は健康長寿のシンボルとして親しまれて来ました。
直接手で触れてその霊威にあやかりご利益を得ようと多くの人が撫でています。
天神さんの牛みたいなものです。

手水も亀です。

亀の井
酒造家はこの神泉を酒の元水として造り水に混和して使用し、また延命長寿、よみがえりの水としても有名です。
琵琶湖が渇水の時はお茶やコーヒー用の水としてよく汲みに行ってました。



脇勧請
赤鳥居の上部に柱と柱を結ぶ注連縄があり、それに榊の小枝を束ねたものが数多く垂れ下っているのが”脇勧請”です。
榊の束数は平年は12本、閏年は13本吊り下げる慣わしとなっています。
この形は『鳥居』の原始形式を示すもので、太古の昔、参道の両側に二本の木を植えて神を迎え、柱と柱の間に縄を張り、
その年の月数だけ の細縄を垂れて、月々の農作物の出来具合を占ったとされています。

霊亀の滝
この滝の水で水晶たちを清めたり水浴びをさせています。
水浴びを済ませると石たちは艶が出てスゴク綺麗になります。
大きな石は滝の水や亀の井の水を汲んで持ち帰り水浴びです。

雨宝院(西陣聖天)
西陣にある、弘法大師創建の寺院。
本堂に歓喜天を祀ることから、「西陣の聖天さん」として親しまれ、商売繁盛の神様としても信仰されています。

西陣聖天の狭い境内には本堂や庚申堂、稲荷堂が建ち並び、所狭しと歓喜桜や観音桜、御衣黄が咲き競っていました。
西陣聖天には今年は3回も桜を見に行きました。
桜なんてとっくに散っているのに、仕事が忙しすぎたのと、このお方のお世話で今頃しかblogに書けてません(>_<")
でもGWの9日間は、このお方と朝から夜までズット一緒です(σ´㉨`)σ・・・・…━━━━⊹ฺ∔ฺ⋆ฺ✧ฺ☆ズキューン♡
で、1回目は蕾の頃。
2回目は満開の時。
そして3回目は散り染めの時です。

3回目に訪れた時は、芍薬が咲いていました。

普段はひっそりとしている西陣聖天ですが、桜の時期は沢山の人です。
2,3年前までは"隠れた桜の名所”として静かに桜を楽しむことが出来たのですが、最近はblogなどで紹介されているため
桜の人気スポットになってしまったようです。

歓喜天と枝垂桜
鮮やかなピンクがとても綺麗でした。






枝垂桜

歓喜桜
歓喜桜は八重桜で、御室の桜と同じ品種です。

観音堂
観音堂に安置されている漆箔の木造千手観音立像は、平安時代中期の作とされ国の重要文化財です。





御衣黄
黄緑色の花をつける八重桜です。

花が落ちてきた
花びらでなく、桜の花がそのまま落ちてきたので上を見ると・・・スズメが・・・

スズメが桜の花を啄ばんでいました。


足元には桜の絨毯


満開の桜もいいですが、桜吹雪の景色のほうが好きです。
宿りして春の山辺に寝たる夜は 夢の内にも花ぞ散りける

この景色を撮るため撮影の順番を待ち、曇るのを待ち・・・でした。

弘仁12年(821)嵯峨天皇の病気平癒を弘法大師空海が祈願し、六臂の歓喜天(聖天)を安置した大聖歓喜寺が始まりとされ、
当初、境内は広大で千本通五辻までありましたが、応仁の乱(1467〜77)により堂宇は焼失、荒廃してしまいました。
天正年間(1573〜92)に雨宝院のみが現在地に再建されたと伝えられています。








境内には桜だけでなくクリスマスローズやヤマブキ、椿、木瓜などの花が境内いっぱいに咲いていました。

法華宗真門流総本山 本隆寺
開祖日真大和尚は、長享2年(1488)に四条大宮に本隆寺を開創しました。
後柏原天皇等の支援を得て法運は隆盛しますが、天文の法難に遭遇し、諸堂は悉く消失し泉州堺に避難しました。
天文11年(1542)春、現在の地を得て再興され、承応2年(1653)には大火により諸堂を失いますが本尊は無事で、
万治元年(1658)に再建されました。

天明8年(1788)の大火により、再び山門・鐘楼・方丈・塔頭と悉く焼失しますが、本堂・祖師堂・宝庫は消失を免れました。
このことにより「焼けずの寺」の異名がつくようになりました。

本堂
大火を免れた十七間四面の堂々とした本堂は京都府指定文化財で日蓮宗京都十六本山の中で最も古いものといわれています。
塔頭八支院が境内を取り巻くように立ち並んでいます。

染井吉野
山門をくぐって直ぐにある満開のソメイヨシノ。



この本隆寺もガイドブックには載っていないので観光客もほとんどなく、地元にとけ込んだお寺です。
春には桜が境内を埋め尽くし、桜の穴場です。
でも最近はblogで結構紹介されているので来年は観光客で一杯だったりして。。。

夜泣き止め松
五世の日諦上人が養育を頼まれた赤子の夜泣きに困った際、題目を唱えながらこの松の木を回ると泣きやんだという
故事から名づけられました。



枝垂桜
本堂の裏にひっそりと咲いている、綺麗なピンクの枝垂桜。

